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<心に成功の炎を>75 

2018年07月03日 ナビトモブログ記事
テーマ:中村天風<心に成功の炎を>

 そして大脳というのは 我々の頭の一番てっぺんにある。この大脳は 意識の一切を司る いわゆる意識の中央政府といっていいでしょう。放送局でいったら 内幸町(当時)のNHK あれと同じものだと思ってりゃいい。そしてその作用というものが実にそりゃね 複雑で微妙なんだ。
 たとえば 我我がチョイと手を動かす 足を動かすというような ささいな肉体運動や その他の運動 動作のごときはもちろん 五官から感ずるいろいろの感覚を受け入れて そしてそれをもととしていろいろな観念を作ったり あるいは思想を組み立てたりすることを この大脳がやってる。
 この大脳の微妙な運動は 不思議なもんだぜ。そうだ 女の人がよく好いたらしい男なんか見るときに チョイと横目つかうときね あの横目つかうときに あなた方 気がついてるはずだが 片っ方の目は目尻向いて もう片っ方の目は目頭のほうを向いてるじゃねえか。東西からいったら 方向が違うはずなんだよ。方向が違うのに 心のほうで<あっちを見よう>と思うと ちゃんと目の玉がいうことを聞いて 片っ方が方向違いのところだって見てる。
 そういうのを 大脳の中にある動力帯が支配しているという。その大脳の中にある動力帯なるものが 指揮者 命令者となって 一切の運動神経に活動を促がしているわけだ。時間がきて 私が <今日の講演はもうおしまいです>といえば 明日の朝までここにいるという人はいないでしょう。手をたたいて すぐゾロゾロと帰っていくでしょう。そのときに この動力帯があなた方を動かしてんだぜ。動力帯が動かさなかったら こりゃもう一生ここにいるよ。
 それから 万一この動力帯に 何かの故障が起こったり あるいは 怪我 過ちをすると 体が不自由になっちまう。チョイと手を上げるのも思うようにいかない。それは病気でなくても 何か不意に臆病な人が驚いて 俗に腰がぬけるという話があるでしょう。その腰が動けなくなるのは何だというと 動力帯が サッとたちあがらせなくしてしまうからなんだ。ハッと驚いて あとはそれっきり 動けなくなってしまう。
 それから 五官の感じる一切の感覚が 神経を通じて大脳に伝達されて 伝達されたうえに生ずる状態を<知覚の作用>というんです。ただ 痛いとか寒いとか うれしいとか情けないとかいうような感覚が大脳にくれb 必ずそれを大脳で<あ そうか>と受けとられると思ったら違うのよ。資格ができなきゃだめなんですよ。これを忘れちゃだめだよ。
 だから<心ここにあらざれば 視れども見えず 聴けども聞こえず>というのがあるだろう。
 たてえば あなた方がもの思いにふけっているときに そのほうに心がとらわれていたら 暑いとか寒いとかを感覚する神経が作用しませんよ。
 よく もの思いにふけっている人のところに行って ほかの話をもっていって かんで含めて説明しても わからないで困る人があるだろ。詳しく説明して<おわかりになりましたか><いや よくわからない>。説明がわからないんじゃない。聞いてる人が聞いてなかったからわからないというだけの話だ。
 今日のこの話だって もうしんから聞いてる人はよくわかるけど<つまんない話だなあ きょうの話は>と思って聞いてる人にはわかりゃしません。
 とにかく 知覚というものが正確でないと 大脳の働きは完全におこなえないわけです。知覚を完全なものにするために必要なのが潜在意識のお掃除 いわゆる自律神経のほうの働きを完全にしなきゃならないから それを正しいものにしようがために 今まで観念要素の更改だとか 積極観念の養成だとか 神経反射の調節だとかいう方法を教わったわけなんだ。教えようがために とくに理屈をこしらえて説いてんじゃないのよ。そうした原因がそこにあるんだからね。
 それから この五官感覚のもってる知覚を促がす前の働きの中にも不思議なものがある。これを間接 直接に大脳が支配してるんだが 目なら目 鼻なら鼻というふうに その一部分だけしかもっていない特殊な働きがあるだろう。そのすべてを大脳はグッと握ってるわけです。
 ちょうどこれをたとえると 大脳は 中央電信局みたいなものなんだ。それで 我々微妙な五官感覚は 市町村に存在する三等郵便局みたいなものだ。五官感覚で受けとられたものが 大脳へ送られて 知覚が作用する。
 これが要するに大脳の働きであります。

―続くー



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