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シニアの放課後

<心に成功の炎を>72 

2018年06月29日 ナビトモブログ記事
テーマ:中村天風<心に成功の炎を>

 ようやく戦いすんで そして友軍のいるところまで雪の夜道を単独でもって五時間駆け抜けてきて やっと一杯の湯をもらって飲んでいると 兵隊が一人来て
 <大尉殿 血が出てる>というから
 <どこに?>
 <背中です>
 <背中?>
 そのとき私は満州のぼろ綿の入ったぶ厚いクーリーの服を着ていたんだが それがむちゃくちゃな穴が開いている。
 一枚一枚脱いでみて その兵隊が<ザクロの実みたいになってる>というから 手をやってみたら なるほど おかしい。それから裸になってみたら 前の腹から背中のほうに弾がぬけっちゃっている。ぬけた背中のほうは ちょうどボタンの花みたいになって 前の腹のほうはもう おへそみたいに肉がふさがっちゃってる。
 <あ これはぬけてるわ>といわれたと同時に ペチャーンと腰がぬけちゃったよ。今度は横向くこともできなくなった。
 妙なもんだねえ 人間は。五時間前に打たれてるんだぜ。気がつかずにいるときは なんともなかったのに アッと思った瞬間 今度は立ち上がれなくなっちゃった。
 だから 怪我でも何でも 気のついたときが痛がったり 苦しかったり 悲しかったりする。気がつかないかぎりはどうもないんだから これも同じことだ。気がつこうとするとき その気をほかに回せばいいじゃないか。<心ここにあらざれば 視れども見えず 聴けども聞こえず>
 おっかないことに遭ったら おっかなくないほうに気を向けりゃいい。目はそれを見ててもいいから 心はほかに向けちまえばいい。
 それは安定打座をやりさえすればできるんですよ。刹那に雑念 妄念をフッと吹き消しちゃってから スーッと心を<空>の世界にもっていく。こういう話を珍しく聞いちゃだめだよ。あなた方もできるんだから。
 それを我慢でやると さっきの犬の話でいえば やせ我慢で<おっかなくない>と思った瞬間 バカッとくわれることになる。だから 本当の<空>になるために 安定打座を徹底してやらなきゃいけないんですよ。
 はい 一席の講談 これで終わります。<336−4>

<強靭>の篇 第七章 虚心平気 、、、、終、、、、


 <強靭>の篇 
 
 第八章 生き生きと勇ましく <337頁>

 多く言うまでもなく 現代は科学の時代であります。
 だから 現代の人々には科学の講演のほうが あなた方の理知にはぴったり合ってるはずなんですけれど なかなか事実はそうではなくて むしろ抽象的な 時によると夢とか思うような 全然とらえどころのないような 哲学的講演のほうが好まれる傾向があるんです。なんとなく科学の講演だというと 砂利をかんでいるような気持ちがするんでしょうなあ。
 本来これは 人間の心のもつ自然傾向だろうと私は思うんだが ピシャッ ピシャッと 判で押したように 一に一を足して イコール二になるという話を聞くよりも 一プラスXイコールYと言ったほうが なんとなく味を多分に感じるような気がするがためじゃなかろうかと思います。
 しかし だからといって 哲学的な講演ばかりしてたんじゃ 結局あなた方の理解が抽象的になるおそれがありますし 私も哲学と科学の両方を研究したんですから 科学的な講演をあなた方にお話すれば きのうまで聞いた事柄の中でわからないことが 自然とわかってくる場合もあるだろうと考えて いまから <心の科学的説明>ということで話してみたいと思います。
 そこで まず第一番にお断りしておかなきゃならないことは 人間の心というものは よしんばどんなに科学の研究が進んだところで しょせん現象世界の奥のほうに隠されてる 神秘のなぞだということです。一つのパズルなんです。
 なぜかというと 科学じゃ 心という問題を決定することができずにいるもんですもん。ただ 心の働きをおこなうものを心だというふうに考えてる。古往今来 洋の東西を問わず あの神秘な文学が進んできたのも 結局 この心というものの消息が何としてもつかめない神秘的なものだからでしょう。
 ダンテの<神曲>を読んでみても ホメロスの詩を読んでみても 心というものをとくに説いてはいない。不思議なわけのわからないもの しかし不思議な働きをもつものであるということを お互いに考えて考えきれないから お互いの気持ちのあらわれが詩になり歌になっているんです。
 日本では<心こそ迷わす心なれ 心に心 心許すな>という 結果だけはよくわかっているけれども その心とは何だろうと考えると もう全然わからなくなってしまうんだ。
 一切の哲学 一切の科学 否 あらゆる宗教 またその他の人生にかかわるすべての研究というものは みんなこの心が不可解なものであることに迷ってるんですぜ。
 芸術も発明も 創意も創作も みんな一切合財心から出ていて そのでている心がわからない。おそらくはそれは何万年たっても 心というものは本当の正体はつかめないだろうと私は思う。

ー続くー



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