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シニアの放課後

<心に成功の炎を>70 

2018年06月27日 ナビトモブログ記事
テーマ:中村天風<心に成功の炎を>

 そうすると 今まで但馬守においすくめられて小さくなっていた虎 それがムクムクムクッと起き上がりやがった。 
 さあ 大名と旗本<さあ おい いよいよ飛びかかるぜ>
 手に汗握ってみていると 飛びかかると思いし虎がさにあらず 立ち上がると同時に 沢庵禅師の衣のすその回りを  さながら飼いならされた猫が主人の裳裾にまつわるがごとく 心しげに足元を二度 三度回った。やがて 沢庵禅師の足元にコロリと横になって のどをゴロゴロ ゴロゴロと鳴らしている。
 虎でも猫でも獅子でもね 機嫌のいいときはのど鳴らすのよ。
 そののどを鳴らして寝転んでいる虎の頭を 右手にさげた数珠でもってかるく なでるようにたたいている。見ている大名と旗本
 <ありゃりゃりゃりゃ 馴れ合いのことを八百長というが これは八百長か>と心中で思ったが そんなことはいいやしません。
 <一番先にびっくりしたのが家光であります。
 <はて 不思議な光景じゃ>
 いつまでたってもやってるもんだから
 <もうよかろう 禅師>
 <さようか。おとなしくしとれ。また来るでな>
 いける人間にもの言うがごとく 虎にそう言い残して 今度は但馬守とはぜんぜん打って変わって くるっと虎に背を向けて 人の家をいとまごいしてくるのと同じように 悠々と出てくる。虎もその後を追っかけて <坊さん まだいいじゃないか>というような様子。
 虎の檻の戸のところに来て もう一度ふりかえった沢庵が <また来るぞ>といって 平手で虎の頭をなでて そして悠々と外へ出てきた。汗も何もかいてない。
 まったく思いもよらないこのしぐさに やがて酒盛りが始まる。家光将軍がまず但馬守に尋ねた。
 <但馬 そちはいかなる心構えにて虎の折に討ち入りしか>
 <さればにござりまする。やつがれ もしも虎に近寄らなば 日本武道の恥と心得 柳生流の心の気合をもって攻めつけましてござります>
 <ほう 武術の力じゃなあ。沢庵禅師 御身は?>
 <何の存念もございません>
 <何の存念もないとは?恐ろしくなかりしか>
 <いえ 毛頭>
 <はて 異なことを承る。恐ろしくない。これは面妖な。百獣の王ともいわれるところの虎が恐ろしくないか>
 <されば お答え申すも異なことながら 愚僧は仏道に精進いたす者。虎といえども仏性あり。慈悲の心をもって接したまででござる>
 頭から恐れていないんです。
<なるほど こわくねえのか。それで平気で入ったんだな>と 家光も聞いてる大名や旗本も この気持ちに痛く感激したという話です。

 これを子供のときに私 聞いてね <ばからしい ほんとうに。沢庵てやつはばかなんだ。虎のおっかねえのを知らねえな>と そう思ったんだ。
 結局 どんな場合でも 沢庵は心が虚に 気が平らになっているから なあんとも思わなかったわけだね。何とも思わないものを何ともしないんだ。
 子供のときに聞いたこの話で その後 いくたびの危険に遭遇しても 私もなんとも思わなくなっちゃった。
 それはあなた方が たとえばクンバハカというものを教わると<なにをくそ>という気持ちをもってものに当たるけれども それはいまだ柳生但馬守なんだよ。これがいけない。柳生但馬守の気持ちになると 前に言った相対的な積極なんだ。
 虎のほうは すきがあったら飛びかかろうとしてる。幸い但馬守に武術があったから飛びかからなかったものの それでもすきがあったら食い殺されたかもしれない。沢庵禅師のほうは虎のほうに戦闘的意思がないのですから 全然なんとも思っていない。沢庵禅師が何とも思ってないから 虎のほうも 何とも思ってないものは何ともしないんですよ。この沢庵の気持ちは絶対的な積極なんだ。
 同じ似たような話で 私はこういい経験をもってる。それもやっぱりこの話から得たところの信念が私をそうしたに違いないと思っている。

―続くー



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