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平成の虚無僧一路の日記

すり替えられた明治天皇 

2011年05月15日 外部ブログ記事
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会津人の立場で言うと、会津藩は「孝明天皇」の信任を
受けていたのが、孝明帝の崩御によって、政局が急変し、
薩長は15歳の明治天皇を擁立して、錦の御旗を掲げた。

孝明帝のお子様であるはずの「明治天皇」の豹変ぶりには
驚かざるを得ない。そこで「岩倉や伊藤が、孝明天皇を
暗殺し、「長州に居た大室寅之祐を明治天皇に仕立てた」
という説には、素直に納得してしまうのだ。

私の祖父も、明治、大正、昭和と続く天皇を「天皇」とは
認めていなかった。

「明治天皇が孝明帝の皇子でない」とする根拠は、

孝明帝の御子は、殿中で女御の中で育てられており、
禁門の変で大砲の音に驚いて失神するほど気弱な性格
だったのが、慶応4年、鳥羽伏見の戦いが勃発すると、
馬上ゆたかに颯爽と閲兵式を行っている。その時の写真
を見ると、とても15歳の皇子とは思えない、浅黒く逞しい
顔立ちなのだ。

明治天皇の写真は、それ1枚しかなく、有名な「明治大帝」の
御真影は、キヨソーネに描かせた「肖像画」を写真に撮ったもの
だという。

孝明帝は、細表の瓜実(うりざね)顔だったが、明治天皇は
ふてぶてしい顔立ちで、唇が厚かった。明治天皇が孝明帝の
お子であることを示すかのように、孝明帝の肖像画の口の部分が、
明治天皇に似せて、わざわざ書き変えられているという。

なぜ、写真を撮らせなかったか。明治天皇は、痘瘡(天然痘)を
煩い、口の周りに「あばた」があった。また、明治天皇は
「左利き」だった。皇室育ちならば、そんなことはありえない。

「大室寅之祐」が明治天皇となった経緯について、大室家の者が、
かなり具体的に証言している。とても作り話、虚言とは思えない。
大室家には、皇室関係者や政府高官が、おしのびで度々訪れて
おり、特別の扱いを受けている。

元総理の橋本龍太郎も「大室」氏の血を引くらしい。

東京遷都の時、京都御所で仕えていた女官を全員解雇しているのも、
口封じの意味があった。

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