メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

シニアの放課後

<心に成功の炎を>59 

2018年06月14日 ナビトモブログ記事
テーマ:中村天風<心に成功の炎を>

 今日も 会員の前沢さんの革の製作展覧会を東京の三越に見に行って その帰りがけです。駐車場のところで立っていると 配車係の人が
 <先生 ここはお寒いですから 中に入ってお待ち合わせください。すぐ車を呼びますから。ここは寒いですよ。中のあったかいところから急にお出になるとお風邪を召しますから>というから そのとき行ってやろうかと思った。
 <普通の人間扱いするな>ってね。
 こっちにはクンバハカという尊いものがある。どんな暖かいところからどんな寒いところへ出たからって<ああ いい気持ちだ>と思うだけで 風邪なんかひきゃしねえよ。そんなあわて者じゃないもの。けれど むこうじゃ悪意でなく善意のつもりでいったんでしょうが これは 結果は悪意ですよ。
 もう右を見ても 左を見ても 暖かいところから寒いところへ出りゃ さっとすぐ風邪ひいちまう人が多いというふうになってるもんだから それを注意するということは非常な親切だと思ってるんだけど その親切というのが 我々のほうからいうと きわめて消極的な気持ちからあらわれた言葉ですわね。
 だから 一事が万事 もうほとんど今の人々の持ってる観念は 消極的なんです。だから よっぽど注意深く吟味して人生に生きていかないと 知らざる間にこの消極的な観念感化というものを受けてしまう。知ってりゃ受け入れやしません。
 それには<暗示の分析>(<成功に実現>三十九頁参照)を実行しなさい。
 <ああ 今この人が言ってる言葉 ああ 今この人がしている行い これは果たして受け入れていい言葉か行いか これは消極的か あるいはそうでないか>ということを十分に吟味しなさい。こういう注意を与えられていない人というものは 何でも心の前へ飛び出してきたものを みんな自分の心のずだ袋の中へ受け入れようとする傾向があるんです。
 それも すでに自分の精神官能性能が完全に積極的になってる人ならば 別に自分で吟味しようと思わなくったって 積極的なものはポンポンポンポン 心が自然作用ではねのけてしまうけれども 精神官能性能がまだ十分に積極化されていない人には すぐ外界の積極的な言葉や行いがピタッと心の中に飛び込んできてしまう。否 飛び込んでくるよりも 受け入れてしまうというおそれがあるんです。
 すると 恐ろしいかな それが時あるごとに 折りあるごとに その人の心の全体を消極的なものにするという結果がきてしまう。
 事実 この前 私が別府に行ったときに経験したんだけれども 船に乗って 船に弱い人なんかが まだ本当に酔っちゃいないのに 隣の人が酔いだすと 一緒に付き合って酔ってしまう。あれは 妙なもんですなあ。一人の人間が船酔いで多少妙な気持ちになってきた なんていうときに
 <ボーイさん 金だらい持ってきてくんねえか>というと 隣の人も
 <お おれにも持ってきてくれ>
 人ごととして笑っちゃだめだぜ。たとへ話のおかしさを感じたときに 自分もそういう傾向がありゃしないかあを考えなきゃだめだ。
薬が売れるのも 要はそういう傾向があるからなんだね。テレビなんかで わけのわからない 少なくとも医学的な専門知識があって聞いてたら吹きだすような 麗々しい薬の効能書を並べられると 素人というものは すぐだまされちまう。薬屋から考えると ありがたいもんですわね。肝臓がどこにあって 脾臓がどこにあって 副腎がどこにあって 腎臓がどこにあって 心臓がどういう格好でどこのところにあるなんてことは知りもしないのに もうすぐ自分にも何か効くように思ってしまう。
 そうしちゃあ 高い銭出して 効きもしない薬を買って飲んで 効かないどころか 副作用で今度はほかの病で苦しがってるばかがいるんだぜ。それも結局要するに 人間は 自分の観念が積極的でないと そうなるべく余儀なくされるようにできてるんだ。そういう人はどうしたって 自己統御も思うに任せやしない。
 だから 常に外界の印象を心に受け入れるとき 取捨分別 よおく吟味しなきゃいけないんです。 のべつ受け入れてんだからね。何時から何時まで受け入れて 何時から何時まで休んでるってわけにいかないんだよ。現在こうやってるときも ドンドンドンドン受け入れてるんですから。外界の印象を取捨分別するということは 言葉を変えていえば 感化危機感を正確に使用するということなんだ。そして 初めて本当にすぐれた勘の力が出てくるんです。
 だから 平素 人生に生きる際 もう念には念を入れて 感覚器官をできうるかぎり正確に使用する習性を心がけておつけなさいよ。習性を心がけてつけろというのは 習慣性を作りなさいといってるんだ。すると 自分でもびっくりするほど 不思議な力が出てくるんです。

              *
 
 では どうすれば感覚器官を正確に使用する習性を現実につけられるか。
 まず第一に 諸事万事に応接するときに<はっきりした気持ちでやる>ということなんだ。これは<有意注意力>を集中するという意味なんだが これは 精神統一の習得には欠かせない条件だったね(<成功の実現>第八章参照)。

―続くー



拍手する


コメントをするにはログインが必要です

PR





上部へ