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<心に成功の炎を>58 

2018年06月13日 ナビトモブログ記事
テーマ:中村天風<心に成功の炎を>

 自分の五官 感覚器官から いつ受け入れたってことは自分はわかりゃしない。知らずに受け入れたんだから。しかし その受け入れた事柄が 現在の自分の観念や思想をつくっているんだということに気がつかなきゃだめなんだぜ。
 今も言ったとおり もしも感覚器官がないとしたら 外界にある印象を何にも心に受け入れないんだから いわゆる心あってもなきにひとしかないかい?
 わかりやすい話が 月を見ても 花を見ても 何を見ても聞いても 一切合財何にも感じなくなってしまう。 すると ただ死なずに生きているという名ばかりで 第一そういう人生は何の味もなきゃ 幅もないもんですわねえ。
 そういう点を考えてみれば 感覚器官 言いかえれば官能というものの存在が いかに人間に対し重大かということがわかりゃしません?
 また 以上の事柄ばかりでなく 特に知っておきたいことは われわれのこうやって生きていくる間 われわれの周囲に存在するありとあらゆる事物 事象というものは 精神生命に対しての栄養物なんだということです。 ちょうど肉体生命に対する栄養物と同様なんです。
 あなた方は 口から入れる栄養物ばっかりが重大なように思ってるけれども それは肉体生命を養う場合に口から入れる食い物が重大であることはもちろんですけれども ある意味から言ったら それより重大なのは 精神生命を養う栄養物を外界から取り入れる この考え方のほうが比較にならないほど重大な場合があるんです。
 我々の精神生命は 外界に存在するいろいろの事象 事物の印象というものが栄養物になっている。もっとわかりやすくいえば 目や鼻や耳や あるいは舌や皮膚に持つ感覚作用が 外界の事物 事象のすべての印象を精神生命の中に受け入れてる口になっているんです。
 ところで 肉体に栄養物を取り入れるとき 第一に必要な準備として これは食っていいものか悪いものか 食って果たして栄養になるかならないか 体のためになるかならないか というようなことをよおく吟味して食べるのが当然だってことは 誰でも常識でわかってますわね。何でも食い物と名がつきゃ 毒が塗ってあろうと 何であろうとも 腹いっぱい食うのが一番いいんだと思ってるまぬけな人はいないでしょう。
 まして 今まで見たこともないような珍しい食い物を見たときに それは食い物だってことはわかっても<これは食ってもどうもないかい>というようなことを聞くね。それだけ口から肉体に入れる食い物は用心していながら 精神生命に外界の印象を受け入れるときには この半分の半分も注意しないで受け入れてる人が多かない? それが結局あなた方を 気の弱い神経過敏にしちゃったんだ。
 自分を考えるときね 身びいきややせ我慢はだめよ。これは一番の禁物。静かに自分自身を考えなさい。自分は気が弱いか 神経過敏か つまんないことを気にするか 気にしない人間かってことを自分自身 考えなさい。
 これはもう いつも私がそう言ってるね。神経過敏な人というのは 五か十くらいのわずかな刺激 ショックも それを心に知覚せしめるときには百 二百に誇張して感じさせてしまう。
 そして 気分が鎮まったあとで考えると 驚くことでもなきゃ 悲しむことでもなく 腹立つことでもないということに気がつくんだけど その受け入れたときには少ない 小さい分量でも パーンと来たときに 心がバーッとおおきく感じるもんだから こらえれば こらえられないこともなかろう場合にも こらえられなくなっちまうんだ。つまり 感覚作用が消極的に過敏になっちゃってる。
 万が一 おれはまだ神経が過敏だとか どうも私は気の弱いところがあるというふうに思う人は 精神生命に外界の印象を受け入れるとき これからは特別入念に吟味して 取捨分別を完全にしなきゃいけないんです。
 その入念な吟味 外界の印象に対する取捨分別を厳格にするということが 官能の啓発にたいへん必要な手段だ。つまり 勘をよくする 五官感覚の作用を優秀化するのに一番必要な手段なんだ。
 何にも吟味しないでむちゃくちゃに取り入れていると その結果 精神内容は常に乱雑不純潔になって当然心の力の働きも その程度を極めて低くしてしまうんだ。
 ところが その肝心なことを いろんな理屈や理論をいう割合に 気がつかない人が多いんだ。気がつかないままで生活してるから いつまでたってもいっこうにすぐれた心の力と働きをだすことあたわずして生きていくというような こっけいな笑えない事実をおかしている。考えてみりゃばかげた話ですねえ。
 われわれの人生の周囲に存在するすべての事柄は 取り入れ方がよけりゃ われわれの心の力を非常にすぐれたものにするけれども 反対に 同じものでも 取り入れそこなうと 抗議の方面へと働き出すんですよ。
 さなきだに 現代のようなマスコミ時代というものは もう消極的な事柄がとても数たくさん存在してるんだもん。

―続くー



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