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<心に成功の炎を>57 

2018年06月12日 ナビトモブログ記事
テーマ:中村天風<心に成功の炎を>

 五感の感覚器官というものを持たずしてこの世に生まれてきたとしたらどうなるだろう。いかに人間の心の中に幽玄微妙の働きをおこなう心があっても それを完全に具体化することができなくなりますよ。もし 人間がミミズのような原始的動物として生まれたら 音もなければ光もない世界に一生を生きなきゃならない。そうすると その人生というものは ただもうあるがままの姿で 空空寂々 一介の草や木となんらか異なるところのない 哀れな状態で生きてしまうことになってしまうんだ。
 ところが ここに見逃すことのできない大きな消息は この認識力の養成の重要性は昔から学者や識者が口にしているんだが しからば いかにすればその認識力を完全に養成することができるかという実際問題になると これはなかなか難しい問題として 凡人は容易にうかがい知るべからざる神韻縹渺たるものがあるというふうに説いてしまっているんです。
 否 あえてこういう問題ばかりでなく 精神統一ひとつでさえ 精神科学者や心理学者は非常に難しいものだといっているでしょう。いえ 学者ばかりではない。 宗教家をごらんなさい。あの禅の坊さんが 禅というものをどんなに難しく説いているか。あんまり難しく説きすぎちゃってるもんだから 説いてる坊さんさえわかりゃしない。

 この間東京へ国際文化協会から来ているという中国人の先生が 私に会いたいということで会った。アメリカに長くいらっしゃった橋本さんという女のお医者さんの紹介です。
 この中国人の人は 現在コロンビア大学の先生で 大学で日本仏教を説いているんだという。それで 私が
 <日本の坊さんが日本の仏教をアメリカに行って説いているというなら話はわかるけれども 中国の人が しかも日本語のわからない 中国語と英語しかわからない人が 日本の仏教を説くって どんなことを説いているんです?>と聞いたら
 <禅です>
 <禅?禅ならなおさらだ。インド仏教から会得した禅を説くというならまだわかるけれども 日本仏教に存在する膳を 日本を知らずしてアメリカで説いているんですか>
 <はあ 説けますから>
 <さてね その禅 一体誰から会得した禅ですか?>
 <鈴木大拙先生です>
 <そうか 鈴木君か。で おわかりになったの。あなた>
 <いえ わかりません>
 <わからないことを説いているの?>といったら
 <鈴木大拙先生さえ 禅はわからないよと仰せられたんですから 私にわかろう道理がありません>
 <それじゃあ 学生たちには どういうふうに教えているんですか>
 <学生たちには 禅というものはわからないもんだよ。けれど 難しいけれども その中にはこういうひとつの説明をするべき言葉があるんだよということだけを取り次いでいる>
 学者というものは気楽なもんだなと 私 そのとき思ったよ。
 <それじゃあ 私を訪問した目的は?>と聞いたところが
 <あなたが実際的に禅の要をとらえられておられるということを聞いたからです>
 <あ そう。それじゃあ 禅が本当の究極に達すると 結局要するに それは精神統一ですからね コンセントレーションですから。いろいろと精神方面でできることを あなたの参考のためにお見せしましょう>そうしたらね
 <禅と精神統一とは同じですか>というから
 <違うと思ってますか>と聞いたら
 <私は そう考えていなかった>というんだ。
 <そうかんがえないかぎりは あなた 一生かかって禅を研究しても分かりませんよ。禅とは一心の意義なり。それが精神統一でしょう。ただし 天風哲学の説く精神統一は ”明瞭な意識”でもってというのが 追加条件としてついています>そうしたら
 <明瞭意識?なるほど>
<わかるだろ? それが私のほうの精神統一。また それが私のほうの禅といえば禅です。まあ理屈はとにかくとして それによって得た 要するに いろいろの実際をお目にかけよう。私のほうじゃ 精神統一は心的能力の発見が目的なんだ>
 それからいろんなことをして見せてやったの。肉体方面のことはもちろん 精神方面のことも。そうしたら 涙をたらして喜んでね。
 <それはあなたのみができる事柄ですか>と聞くから
 <いやいや 誰でもできる>
 <だれでも?>
 <そうだ>
 <私にもできますか>
 <もちろんだ>
 <どのくらいの研究と修養でできるものですか>
 <その人の熱心さに比例するよ。あなたのように わからないことをわからないといって生徒に教えて 給料をもらって 今日の人生を得々として生きているような横着な気持ちじゃできませんぜ>といったら
 <私 食べなきゃ死んでしまいます。食うために余儀なくやっている仕事ですから>
 <それじゃあ 食えるようになってからおいで。そうしたら教えてやるから>
 <しかし 今日のあなたにお目にかかったこのよき機会は 私の一生の大きな記念です。この忘れることのできない感謝を胸に持って国に帰ります>と そういって帰っていった。
 大学の先生さえ こんなふうなんだから 認識力の養成の重大さをわかって説いている人なんてのは 残念ながらいないんだよ。

 深く考えて見なくてもすぐわかることだけれども およそわれわれの心の中に生ずるいろいろな思い方や考え方 さらにその思い方や考え方をまとめてできあがる思想や あるいは一連の観念というもののその大部分は 外界からわれわれの目なり耳なり あるいはその他の感覚器官を通じて いつの日か知らず 心の中に受け入れられたいろいろの印象が その原因的要素をなしているんです。何にも受け入れなかったことを心の中で持って考え出すというようなことは 霊感的な方面以外にはない。

―続く―



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