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<心に成功の炎を>53 

2018年06月07日 ナビトモブログ記事
テーマ:中村天風<心に成功の炎を>

 日露戦争中にはまだ私はこういう悟りが開けてなかったんです。ところが 今度インドからの帰りがけに 支那<中国>の辛亥革命のときに 同郷の先輩 山座圓次郎公使に頼まれて孫逸仙<孫文>の片腕となって働いた。
 やっぱり日露戦争のときと同じような 切ったり張ったりの境涯が何べんもでてきています。日露戦争のときと違って 今度は孫逸仙というひとりの憂国の志士の命を守ってやらなきゃならない必要があるために むしろ日露戦争のときの切った張ったりしたときよりも よりいっそうの真剣みが要求されているときだ。
 よしんば 日露戦争のときには 一人や二人 切りそこなったからといって 逃げちまいさえすりゃいい。けど 孫逸仙を守ってる場合に 孫逸仙の命を狙ってきた者は 切りそこなって生殺しで帰しゃあ またぞろやってくるというおそれがあります。
 だから徹底的にこの者の命はとってしまわなきゃならないという場合に戦うときの気持ちというものは ぜんぜん前と比較にならない真剣さを要求されているんですが これがありがたいことかな インドで二年九か月 ねえ 心を練りあげて帰ってきたその帰り道だ。もう虚心平気。
 ですから その時に私はそういう場面に直面するたんびに ありしその昔 新免二刀流の使い手の宮本武蔵が 一条下り松で 京流の吉岡道場の者をみな殺しにしたときの気持ちが やっぱりこういうふうな静かな 澄みきった気持ちであったかもしれないなと思った。
 そのときにつくづく私は 自分自身で自分自身の心の状態を静かに観察しながら わき目もふらない 猛虎が暴れるような暴れ方で敵を切ってたときとはぜんぜん切り方が違ってきたことを感じたのであります。
 この心の本当の使い方がわからないと 持たずともいいような荷物を だれに頼まれもしないのに一生懸命持って歩いているやつと同じだ。重い 重いといってね。そういうやつに会ったら あなた方 ほめるかい。
 <失礼さんですが いつお目にかかっても その重い鞄さげていらっしゃいますが それ何のためにおさげになるんです?>と聞いたときに にっこりその人が笑って
 <いやね なに たわいもないことなんですがな これをさげて歩かないと 歩けないんです。もってると張り合いがあって歩けるんです>といったら
 <アホかいな>と思うだろ。それとも心がけのいい人だと思う?
 私なんか 長い間 命がけで敵の命の奪い合いをするときでもね 構えていながらも<こいつ 今度は右から来るか 左から来るか どっちから来るか 振り上げたそのすきだ>というようなことを心の中に描きながら戦った。それでもたいていの場合 切られやしない。切られないから こうやって達者でいるんだけど。そんなことはちっとも考えやしない。
 ちょうどそう なんていったらいいかな 風にフワフワとなびいて動いて 風に逆らわない柳の枝のような状態になって きわめて気楽なものでした。あなた方がお台所でもって 切れる菜切り包丁でもってお大根を切ると同じような気持ちでもってやれるようになったんですねえ。自分でも不思議ですよ。

 とにかく人間は すぐれすぎて困るということはないんですよ。できすぎて弱ったということはないんだから よくなる分にはどんなによくなってもいいんです。いやあ 自分がだいぶよくなったと思ったときには まだ本当によくなっちゃいないんだよ。本当によくなっちまえばおれもできてきたなあなんて思いやしませんよ。そんな自惚れなんか考えないんだから。
 だからどうぞ 自分のため 人の世のために そうした立派な尊さを持つ心を 一日のうちできるだけ長い時間もちこたえていける人間になってくださいよ。
 それでは 今日の講演を終わります。 <254−11>

<研心>の篇 第五章 理性心と霊性心 、、、、終、、、、 


 <研心>の篇  
 
 第六章 勘をよくする <255頁>

 これから<認識力の養成>というきわめて重大な消息をお話します。

―続くー



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