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シニアの放課後
<心に成功の炎を>52
2018年06月06日
テーマ:中村天風<心に成功の炎を>
<いや えらいのではございません ただ 名を惜しみます。ご城中における茶道の宗匠 聚楽と知ってか知らないかは別といたしまして 後々人の口端にかような話がかかりましたときに『あれ見よ 武士であっても 茶の湯をやる腰抜けよ あんなのが徳川の旗本にいるか』といわれたら 手前一代の恥辱のみならず 徳川武士の恥にもなると存じまして>
<いやいや お心がけ 聞けば聞くほどますます感服。そこで心構えとな?>
<さようにござります>
<お教えしてしんぜよう。わけもないこっちゃ>
<わけもないことにござりますか>
<わけもないことじゃ。さほどまでのお心構えができていれば それから以上はわけもない。これから護持院原に行って かように言いなされ。『ごらんのとおり それがしも茶道の宗匠ではござるが 両刀を帯している武士でござれば 無下にそのまま首をはねられることは 先祖に対し 子孫に対し立場がござりませんにより 及ばずながらもお手向かいつかまつる』とな>
<ちょいとお待ちくださいまし。そのお手向かいができますれば 私 大先生の教え お願いに参りません。情けないかな 両刀は腰にしておりますが 抜いたり 納めたりすることは これはまあ掃除のときいたしておりますから できますが これを構えまして 人と剣戟(けんげき)の争いをすることなどは断じてしたことございません。茶柄杓より重いものを持ったことはござりませんに それはできない相談でございます>
<いや 手向かいしろとはまだ言わない。ただ 手向かいをいたしますと言えといったのじゃ>
<だけど 申しましたでしょう。手向かいいたすわけにいきません>
<さあ そこでだ これからが大変なんだ。大変という言葉は取り消そうか。やりなさる気持ちがありゃできるこっちゃ。腰のものを抜きなされ。抜くことはいま知ってると仰せられたな。抜いてな 足を八文字に開いて ぐんと腹に力を入れて 抜いた刀を大上段 同時に目をパッとつぶっちまうのじゃ>
<へっ? 仁王立ちに踏んばって 刀を大上段にふりかぶって 目をつぶりますか。何にも見えません>
<見えないのがええのじゃ。そして 『さあお切りなされ』と かように言いなされ>
<ああ 切られてしまいます>
<どっちにしても どうせ切られるじゃないか。覚悟だと仰せられたろ>
<はいはい>
<ちょいとでも 体のどこかに チクッとでも さわったなと思ったら パッと切りなさい>
<はっ はっ どうなりましょう>
<どうなるかは やってみなきゃわからんがな。もしもその侍に少しでも剣道の心得があったらば おそらく切りますまいぞ>
<えっ 切りませんか>
<剣道の心得があればの。心得がなければ お身も傷つくだろうが 切こんでその侍のほうがよけいお身から切られるわ>
<切られますかしら>
<切られる>
<やります>
<やりなされ。手前からの力添えとして 指し料をお貸し申そう>
<とんでもない。それをお借り申してまいりまして むこうで殺されちまいますと そのお刀 お返し申すことができません>
<いや ご斟酌ご無用じゃ。手前も後からついていってしんぜよう>
<えっ 大先生が?>
<加勢のためじゃござらんぞ。手前もそういう名を惜しむこと真から素直に守っている人の尊い姿が見たいのでのう。さ 一緒にまかりでよう>
手早く身支度して この聚楽を籠に 自分は馬に ほどなく護持院原に来た。
<ぬかりなく 教えたとおりにな>
<かしこまった>
もとより相手の侍に 千葉周作 いる姿なんか見せやしない。はるかに原の手前で馬を乗り捨てて 忍び足で 事の成り行きを見るために ある暗がりでたたずんでいる。
教わったとおり もう間もなく死ぬんだという覚悟のできてる聚楽は 聞いてるあなた方のように 胸をどきつかせない。もう捨て身になるくらい強いことはないですからね。周作の差し料の三池天山 パッと抜いた。そして
<手前も武士でござる。お約束によってまかりでた以上 お切りなさりたかったらお切りなされ。けれど ただ無下に切られては 先祖の手前 子孫へも 名のために惜しみますぞ。かなう かなわないは別問 お手向かいつかまつります。ごめん>といって刀を大上段に構え 目をつぶった。
するとにんまりと笑った浪士が 自分の刀をダッと抜いて
<来たか 坊主。よもや来ないと思ったが 殊勝なやつだ。よし 望みどおり切ってやるぞ>といって 聚楽をじっと見た。
<坊主 なかなかやるな 貴様。おれはな この刀の切れ味を試したいから 貴様に戻ってこいといったんだ。おれは相打ちになるのは嫌だ。やめる。また会おうぞ>と言い残して さっさと行っちゃった。
<そこへ千葉周作が出てきた。
<どうだ>といってると 聚楽はまだやってる。
<手前でござる。言ったとおり あの武士 剣術の心得がある証拠には 行ってしまった>
<どういうわけで行ったんでございましょう>
<そら行くがな。ちょいとでもむこうの切り先がお身の体にさわると お身がパッと来るだろ。身をかわす暇もなんもありゃせん。突っ込むときは出足じゃ。引く足じゃござらん。出足のところをふりかぶってる刀でやりゃ むこうは真っ二つだ。剣術の心得があるだけに おれは相打ちをするのは嫌だと言ったな。相打ちになる。あんたも切られるけれども 向こうは切り殺される。刀の切れ味を試すだけがむこうは目的じゃ>
<ハアー さようでござりましたか 何やらわかったような気持ちがいたします>
<おわかりだろう。茶道の極意も無心 剣道の極意も無心 結局 とらわれから離れれば わざがあるとなきとは別問じゃ。尊い力が出るもんじゃということがおわかりになったか。又の生に再びお目どおりいたそう。ごきげんよう さようなら>と帰っちゃった。
あなた方もこの話でよくわかったろ。
―続く―
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