メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

北軽井沢 虹の街 爽やかな風

風邪との戦い−2 

2011年05月13日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

西吾妻福祉病院では午前8時30分より受け付け開始なのに、その時間にはすでにかなりの人が受付を待っていた。受付を済ませ総合外来というところで診察を受ける。初診の人は総合外来で診察を受け、必要ならば他の専門医のところへと移動するシステムのようだ。
診察を受ける前に自分で体温と血圧を測る。体温は37度、微熱があった。血圧は137−84で正常値の範囲。内科医であるH氏は女医さんで、パソコンのキーボードを叩きながら質問を始めた。「下痢はしていませんか?・・・吐き気はありますか?・・・タバコは吸いますか?」とてきぱきと質問しながら私の解答を聞いてキーボードを叩く。
タバコは吸いません、と応えて、その後とっさに32歳でやめましたと付け加えたが、32歳まで何年間吸われましたか?・・という。え、この先生、私が二十歳前からタバコを吸っていたことを知っているの?・・・32歳でやめたと言っているのだから、二十歳からなら誰でも12年間と分かる。わざわざそれまで何年間吸っていたのかと聞いてくるとは予想外だった。私は16年ですと答えた。この16年間、様々な青春があったが、32歳と言えば長男は小学校へ通い始めていた。タバコを吸い始めた頃の悪ガキ不良少年の自分をチラッと思い出しながら診察を受ける。
聴診器で何カ所かをチェックする医師は、大きく息を吸って吐いてくださいという。子供の頃、この聴診器が体に接触する瞬間がいやだったが、今ではどんな音がするのか一度聞いてみたいと考えるようになっている。左胸の下が痛いと話したので、そのあたりを押さえ、ここですか?今、痛いですか?と、しっかり押さえてくるがその時その姿勢では何の痛さもなかった。
私は、咳が出て頭痛もすると話した。そして、その咳は「五味子酒」を飲むとよく効いた、と話そうとしたが酒の話しはまずいと思いやめることにした。
診察の結果は、肺炎などの心配はなく普通の風邪であるという。咳止めなどの薬を出しておきますから少し様子を見て、痛みが治まらないときはもう一度病院へ来るようにと言われ、診察は終わった。
 
この日はとても良い天気で、少し高台になっている場所にある病院からは浅間山も見える。隣地の広場には黄色いタンポポの花がたくさん咲いていて、その先に見える浅間山の残雪は、もう逆さ馬がなくなっているかもしれない。春をいっぱい感じながら私はスーパー大津へ立ち寄った。
そして、1個175円という高価なリンゴを2つ躊躇なく買い求めた。
幼い頃、よく風邪を引いていた私は、母がこれを飲むと元気が出るからと、リンゴを擂って飲ませてくれていたことをよく覚えていて、結婚後何度か病気になったときその話を妻にしたことがある。「リンゴの汁が飲みたい」と、おどけて言うのが以来風邪を引いたときのジョークとなっているが、妻の返事はいつも笑いながら「うるさい!甘えるな!」である。
今日はそのリンゴを普通に剥いて食べた。
 
その夜、もちろん早めに休んだ。医者の薬も午後と夕方の二度飲んでいる。すっかり安心していたが「悪魔のズツー3号」がちゃっかりやってきた。おいおい嘘だろう?と思いながらしばらくじっとしていると、間違いなくズツー3号である。あの1号、2号に比べると明らかに弱いものであるが、時折ズンと響く。「悪魔のズツー1号、2号」の襲撃を受けたときのことを思い出す。
人生一寸先は闇とはこのことか。意外と早い人生の収束が訪れたと思った。頭はパンパンに張っている。もう少しで浅間山の噴火のように爆発し、噴煙ならぬ脳みそは吹き飛び、天井まで達して落下する。しかし、待てよ・・・・私の頭が大噴火し、駆けつけた妻はすでに息を引き取っている私を見てその場に倒れ込み失神する。死人となった私はいいが、まだ命のある妻はどうなる?隣近所に人はいない静かな森の中、鍵のかかっている中に入ってくる人はいない。電話がなっても出ない。妻は、自力で息を吹き返すか、はたまたそのままあの世行きか?
運良く生き延びたなら、このことの対策を考えないといけない。止まらない咳と頭痛に苦しみながら、そんな馬鹿なことを考えていた。
 
翌朝の10日、「悪魔のズツー3号」は、大きないたずらをせずに去っていた。すっきりと起床し朝食も完食した。そして予定通り週一の買い物へと出かけたのだった。
 
つづく
 

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR





掲載されている画像

    もっと見る

上部へ