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<心に成功の炎を>48 

2018年06月01日 ナビトモブログ記事
テーマ:中村天風<心に成功の炎を>

 心身を統一するときに いちばん心身統一の妨害になるのは心なんだ。心の中のいろんなよくない思いごとや考え事をとるために難行苦行するんですが その難行苦行してる間に悟ったんです。
 山の中で ポツーンと朝から晩まで一人で座って座禅組んでいるんですから 最初の間は雑念 妄念 むら雲の如し。けれども 日がたつにしたがって 何を考えよう立って どうにもしょうがねえ 山の中だもん。そうすると 自然に雑念 妄念がだんだんだんだんでなくなるんですよ。
 そのとき スーイ スーイと 自分でも全然考えてなかったような名案 工夫がでるんだよ。それで 朝と晩だけはカリアッパ先生が一緒に山へくっついてくるから 帰りがけ 先生がロバに乗っていく後ろを歩きながら
 <先生 きょう 座ってる間にこんなこと考えました>
 <おう インスピレーションがでてきたな>と こう言ってくれたんです。
 これを体験して 私は日本に帰ってきても 雑念 妄念をとりさえすれば 人間のすぐれた霊性心が出てくるんだってことを 発見したというより むしろ体験したんです。
 そこで 日本に帰ってきてからの正味八年間 はじめからじゃあ十六年間ですが 人間の心を人間の心でもってコントロールするのに こと多き人生に生きる人間が 何もそりゃ好んで難行苦行する必要もなければ 時間を割いて 痺れきらして座禅組む必要もない。何かこう科学的手段はないかなと考えたんです。
 もちろんその時分に 精神科学というような学問はなかったんですから そりゃもう当てずっぽうに私の小さな頭で考えたんですよ。はじめから私が現在の心理学で説明しうるような学問的理論をもとにして考えたんじゃないんですよ。これはね くれぐれもお断りしておきます。その当時の私はね 医学博士であったけれども それ以外なんにもしらねえんだもん。だから 人生に関してはほとんど無学だった。
 だから いま言った <当てずっぽう>という言葉は少し乱暴な言葉かもしれないけれどもね 自分決めに そうだ いろんな下らねえことを思ったり考えたりしさえしなかったら 心というものは非常にすっきりとなって いい工夫も いい考えもできるんだと こう思っただけなんだ。それが とりもなおさず 雑念 妄念を完全に取り除くと インスピレーションが出て来るという理論と結果的に同じになってきたわけなんです。
 だから わけないんだ。あなた方も いままで教わった観念要素の更改と 積極観念の養成法と それから神経反射の調節を一生懸命にやってると 自然と いつとはなしに雑念 妄念ので方が少なくなります。
 そのうえに 無念無想になる案定打座法(『盛大な人生』398ページ参照)をやって 霊性心が本当に自分の命のものとなると ぜんぜん今までと違った頭になってくる。今までと違った頭というのはね 雑念 妄念のあんまり起こらない いつもクリアな すっきりとした それこそ磨きたての真珠を薄絹に包んだような気持ちになれますよ。努力しなくても それは自然となれるんです。
 今まで教えた方法を一生懸命やって 無念無想になる安定打座という これも私が発見した科学を応用した特別な方法ですが これをやるとね そりゃもう自分でも不思議なくらい 頭が違ってくるんでだ。頭が違ってくるというのは 精神に異常がでてくるんじゃないですよ。現在よりすぐれた頭になるということです。
 そうするとね 一番先にあなた方の発見することは ああ 人間というものは幸福に生きて 丈夫で生きるほうがやさしいわ ということを発見する。体悪くして 不幸福で生きるほうが難しいわということをきっと発見しますよ。
 それは第一にね この世の中のややこしさを感じなくなるんだ。そりゃあね 昔 まだ私がこういうことを知らなかった時分に 何か念の入った本でも読んでるとか あるいはまた 書きものでもしてるときに わきでもって子供が遊んでたり また物音を激しくすると すぐ怒ったもんです。<うるせえな ほんとにもう いま一生懸命書いてんじゃねえか>というふうに。
 ところがね ありがたいかな こういうふうな修行をしてからというものは どんなうるさいところにいようと平気なんですよ。何とも思いやしない 自分の心が。心が関係しなかったら 何とも思いやしないんですから。そうでしょう。<心ここにあらざれば視れども見えず聞けども聞こえず>。そうなってはじめて 人生というものは どこに行っても 本当に安心立命の大境涯で生きられるわけなんです。
 ところが まだ中腰じゃだめよ。<おれは怒っちゃいけねえって天風先生が言うから 怒らねえようにしてるんだし 悲観しちゃいけねっていうから 悲観しねえように一生懸命努めてりゃ うちのやつらはそれをいいことにつっかかりやがって 手をかえ品をかえ おれを怒らせてやがる。ちきしょう もう今日ばかりは勘弁できねえ>それはいけないよ。
 たとえ どんなことが周囲にあろうと こっちの心が相手にしなきゃいいんだもん。そうだろう。それを今までは あなた方は細大漏らさず相手にしてたからいけないんです。こういうのを<他人の疝気を頭痛に病む>っていいますがね。
 あなた方は 隣のおばさんがお腹が痛いというと 自分も一緒にお腹が痛んで苦しんでるのとちょうど同じことをやってたんだ。考えてみりゃ 滑稽以上のとぼけた人生だわね。けど それをまじめにあなた方は今までやってたんです。つまり そうあらねばならないかのごとき人生を自分で作ってた。
 そして そのでてきた霊性心の中には そりゃもう ありがたいなんて言葉じゃ形容もできない 英語でいうインスピレーション 日本語でいう霊感 刹那の判断 明澄千里を映すというくらいの霊感がでてくる。

           *
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―続くー



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