メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

シニアの放課後

<心に成功の炎を>49 

2018年06月02日 ナビトモブログ記事
テーマ:中村天風<心に成功の炎を>

           *

 たとえば あの平炭坑の暴動事件<『成功の実現』二二五頁参照>の調停のために私が乗りこんで 炭坑の入口めざして橋の上を渡っているとき パンパンと鉄砲で狙い撃ちされた。
 それもう警察官が総出でもって<危ないから 危ないから>と止めた。止められる行為はありがたいけれども そのとき私の霊感は <おれはこの人たちを救いに来たんだ。救いに来た人間に弾が当たるか>と刹那に判断した。これがあなた方と違うところ。
 <そんなこといったって もし当たったらどうする>とあなた方は言う。<もし当たったらどうする>ということは考えない そのとき。考えろったって 私の心の中にでてこないんだから 考えないよ。もちろん 外套の裾のところに六発 弾が当たってますが 体には一発も当たりません。
 そういうときに 霊感がもしもなかったら 入っていきませんよ。 パンパン パンパンときて シュッシュッときたら<げっ こんなとこへ来てからにばかばかしい 三文にもならねえのに 弾に打たれて死んだって なあ まだおれだって 人生に何でもかんでもしてきたんじゃねえや。犬死しちゃつまらねえ>と あなた方なら回り右しません? けれど そのとき私には回れ右させないのが私の霊性心。

 神戸じゃ いつでも私の話の種になるのが土井君だね。やがて彼は大学を出て医者になりますけれども。はじめて医者が彼の体を見たときに もう一週間持たないと言った。心臓がひどいんです。それで私が連れられていって ひょいと顔を見た刹那に <よし 助けてやろう>と言ったんです。私は助かるとか助からないより 助けてやろうと言う気が出るだけだ。
 まだ浮世の風も知らず 一三才くらいの子供でもって こんな病でもって死んじゃったんじゃ 何しにこの世に来たかわからない。せめては人間らしい生活をさせてやって 死ぬものなら死なせてやろう こう思う心がフーッとでるんですよ。
 親御さんがこの会場に来てるから 聞いてごらんなさい。あのときに もう私が何と言うかと思って 病人はじめとして みんなそらもう戦々恐々としてたわね。最後の断を私が下すと思ってるからね。
 私はピタッと彼のそばに座って<この子かい 病人。ちょっとおれの顔見てみろ。ああ 大丈夫だよ。お引き受けしよう>
 <治りますか>
 <引き受けるというのは治るこっちゃねえか。な 坊や 約束していこう。先生がもう引き受けたといったら 先生に病をすっかり預けちまえ な。そらもう 苦しい つらい これが病だ。苦しい つらいことがあればこそ おれが来たんだから 当分はまだそれが続くよ。それがなくなったときが治ったときだ。いくら天風先生でも きょう来て あした冶りゃしねえ。けれどもね 日数がかかっても 死なないから安心しろ。いいか。お医者さんが死ぬと言ったって 医者がつくった体じゃねえ。神様がつくった体だ。引き受けた。わかったか>
 <はい>
 治っちゃった。治って 今もう大学でしょう。
 
 私はただ思うまま パッと言うだけなんです。そしてそのとおりになるんだから。それとも 会員の中で 私の言ったことで違った結果を味わった人があったら手を挙げてください 遠慮なく。

―続くー



拍手する


コメントをするにはログインが必要です

PR







上部へ