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シニアの放課後
<心に成功の炎を>45
2018年05月29日
テーマ:中村天風<心に成功の炎を>
理性心というのは 一日一分といえども 同じ状態でいないんです。つまり 昨日の理性と今日の理性は違うんですよ。わかる?
あなた方 よくあるだろ? おととい考えたことを 今日考えてみたら ああ あれよりはこのほうがいいな というふうに考え直すことありゃしない?
それは結局要するに 理性という物は向上し 発達し 変化するからなんです。だから 今日 自己の理性で判断して 是なりと思ったことも 明日になって さらに理性の発達にともなって あるいはそれがぜんぜん反対に非となる場合だって往々にしてあるんですぜ。今も言ったとおり あなた方にも経験ありゃしませんか。
川口松太郎が著した<おれの藤吉郎という本の 第一巻<初旅の巻>にこういうことが書いてあるね。
藤吉郎が九つのときに 自分より10歳年上の雪乃という女に愛を感じた。おれがえらくなったらあの人を女房にしようと思った。やっぱり天下取るやつは早いね。
ところが この雪乃っていう女は 隣村の庄屋の息子の次郎丸という男と恋に陥った。だが 隣村の庄屋と雪ののおとっつぁんとは 水争いする もうかたきのような仲。親同士が争ってるもんですから 子供同士が恋仲に陥っても これあだ花に終わっちゃったんだ。そして隣村の庄屋の息子の次郎丸というのは自害して死んじまい 雪乃って女は助かったわけだな。
心中までしようとして 片っ方が死にそこなって 片っ方は死んじゃって 生き残ったほうの女が 間もなくまたほかの男を好きになって 結婚することになった。
藤吉郎は 子供のことだから女の心がわかりゃしない。そこで 尾張中村の光明寺の和尚さんに聞いた。
<和尚さん 女ってものは あれですか 気の多いもんですね>
<なぜ>
<だって 心中までするくらいの深い恋を語った男と心中しそこなって 男のほうは死んじゃって まだものの三年もたたないのに もうほかの男んとこにお嫁に行く気になるというのはどういうわけでしょう>
<それが人間として当たり前じゃないか>
<だって 心中までしようと思ったんですから 本気だったんでしょう>
<それは本気だ>
<じゃあ今度嫁に行くほうは本気じゃないんでしょうか>
<今度も本気だ>
<おかしいなあ。今度の男を知るまでは 次郎丸以外にこの世の中に男はいないと思っていた。この男となら死んじゃってもかまわないと思うほど 本気に惚れたんだ。それで男のほうは死んじゃって 自分だけ生き残った。味気ない月日が何日か過ごされたろうけれど そうしたら今度自分の目の前にでた男に 前に本気で惚れた男よりも 生きてる人間なもんだから よけい愛を感じて 今度の惚れ方も本気なんだ。三年前の本気と 今日の本気とは 同じ本気でも 本気の中が違ってる本気だ>と言ったというんです。
そう言ったって 9つの子供には わからなかっただろう。
けれど あなた方にはわかるでしょう 今の話。次郎丸と心中する時代の理性と 今度の新しい亭主となるべきものを見つけたときの理性とは違うんです。
だから 変転変化きまわりなき発達性を持っている理性を標準にして生きようとする計画は 狂っているコンパスをあてにして航海するよりまだ剣呑なんですよ。
そもそも心の中にある煩悶だとか失望だとか悲観とか言うものの九割九分は 前に話した整理されない本能心と そしてこの理性心との相克 衝突による現象なんであります。
現在のあなた方の心の中は しょっちゅう本能心が占領する そうすると理性心が見るにみかねて 時々チョクチョク横槍を入れる。そうすると そいつを本能心が<よけいなことを言うな>といって食ってかかる。そうするとまた理性心が居丈高になって つっかかっていくという こんな状態なんですよ。
そして 理性心が負けまいとして本能心とくんずほぐれつしても 理性心は勝てません。もう酒飲みなんていうのはしょっちゅう負けてるね。
ちゃんと医者から 二本以上晩酌飲んじゃいけませんよ 体にさわるからと言われてるんだ。それなのに二本飲んじゃって
<きょうはばかにいい気持ちだが もう一本つけねえか>
<だって お医者様がいけないって言ってますよ>
<内緒にしとけ。何も医者から酒を買ってくるわけじゃね江だろう。てめえ おれのかかあじゃねえか。亭主の好きな赤絵帽子ということもあるからよ もう一本つけろ>
<そんなこといったって 体にさわりますよ>
<体にさわらねえよ。今晩は特別なんだから 一本つけろ>
しょうがないから 奥さん 嫌々ながらもお燗つけてくると 飲みながら
<医者 飲んじゃいけねえっていうから よそうかなあ。けど 飲みてえんだからなあ。半分だけ飲もうか>というと
<そんなけちけちしないでもって みんな飲んじまいなさい>
<けど 何だかあれだなあ 医者が飲んじゃいけねえってものを飲んじゃ悪いような気もするが>と これは理性ですよ。
ところが 今度は肉体のほうからは
<いいよ 飲んじまえ>と腹の底からくると
<じゃあ まあしょうがねえ 飲んじまえ。ついでくれ>なんてね。そうすると また一本じゃ足らない。
<もう一本つけねえか>
何にもならない。お酒のみの亭主を持ってる奥さん 思いあたるだろ。
そして この衝突がはじまると そりゃもう人生は どんなに金があろうと どんなに知識があろうと はた目から見ては幸福そうに見えても その人間の精神生活の内部はもうゴチャゴチャになってしまうんです。そうしたら 万物の霊長として生まれた幸福 どこにもないんですよ。
―続くー
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