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<心に成功の炎を>39 

2018年05月22日 ナビトモブログ記事
テーマ:中村天風<心に成功の炎を>

 詳しく言うと そもそもあなた方の心は あなた方がおぎゃあと生まれたときに新しく仕入れてきた心じゃないんですよ。心も肉体も 幾万年か前から よろしいか 続けられてきたあらわれなんですよ。体はもちろん 親から子 子から孫 孫からまたそれが親になって 子から孫というふうにドンドンドンドンと伝えられてきた。いきなりボーンと 今生このとき はじめて人間の世界にあなた方が人間としてでてきたんじゃないですよ。この人間になるにつけては 幾万年前から人間の種があったんです。
 それとも あなた方 狸の種でここへ出てきて 人間の世界へ入っているんですか。そうじゃありゃせんがな。
 肉体がそのとおりであると同時に やっぱり精神方面も伝統されてきているんです。その心の中に 祖先時代には必要としたものの 現代の人間には必要としないところの本能心が 人によってあり方は違うけれども そうとう整理されないかぎり 言い方を換えれば 自己陶冶をしないかぎり 誰にでも残っているんです。これは拒否することのできない自然現象だ。
 そうすると それが残っているかぎり 折りあるごとに 時あるごとに それが意識領域に飛び出してくる。たいてい その不要残留本能心というのはね 動物的欲望か 動物的感情情念が多いんです。
 すなわち 闘争心 復讐心 憎悪心 猜疑心 嫉妬心などというような いわゆる動物本来特有の低級な心も この本能心から出てくるのです。そして やたらにくだらないことを怒ったり 憎んだり ねたんだり そねんだり 迷ったりという気持ちは 我々の祖先時代には入り用な心であったかもしれないんですが しかし 今の時代には必要ないんです。
 とくに 人の命を もっとわかりやすく言えば 生きてる命を尊敬するという気持の薄い心は これは現代民族の生活に必要としない心なんです。昔は 自分を守るのに 国家が法治国家でないんだから そういう心を持っても勢いやむをえない。外敵に対して我が命はわが力で守っていかなきゃならない。そういう場合には 自分を守るために人の命を平気で殺しても罪悪じゃなかった。
 ましてや 武士階級 侍という仲間は 侍以外のものは人間と思わないでいたんですから。だから あの時代に侍以外の人間に生まれたものは惨めなもんですぜ。理屈なし たたっ切られても文句も言えない。<なんでたたっ切った>ということは言える。そのときに<無礼したからたたっ切った><おれは無礼した覚えはない>といったって 切ったほうが<覚えがなくても無礼だ>といってたたっ切りゃあ それでよかったんです。

 今はそれじゃ済みませんよ。済まないように時世がなってるときに なおかつ 昔の本能心が残っていると 極度に人を憎んだり ねたんだり そねんだり 排斥したり そういう心が発動してくると それはもう苦しみを感じるとも 愉快は感じないはずなのに 何か自分の心の中で思ったり考えたりすることが間違っていないように思って それを整理しようとしないで 盛んに日々の人生に発動せしめている人が多かない?
 そして まだ最近まで ほんの最近まで 親子で夫婦になっても 兄弟で夫婦になっても おじさんと姪が夫婦になっても けっして罪悪じゃなかった ねえ。びっくりした顔して私の顔を見てるけれども クリストの旧約聖書やイスラム教のアラーの経典の古いほうの経典 それから日本の神典<古事記>なんか見てごらん。みんなそういう 今の人間が考えきれないような縁が 盛んに同族の中でおこなわれていた。そうだろ。
 さらに戦国時代になると 親が子を殺し 子が親を殺すということが 平気であったんだ。それを罪悪だとは思わなかった。
 ただ 医学の進歩しない前はあったけれども 親子 きょうだいが肉体を接触せしめることは どうもよくないことだといったのは 支那から儒教が入ってきて以後なんです。
 夫を持つ女はけっして他の男と交わっちゃいけない。交われば 直ちに姦通罪というものがある。
 これは前にも話したけれど 昭和22年までの日本の憲法には 姦通罪があったね。これは恥ずかしいことです。
 まだ私がアメリカにいる時分 アメリカのレディーが
 <日本の女は アメリカの女よりも 亭主以外のほかの男に盛んに肉体を許すんですか>
 <いや 私の目に映る場合は フランスやアメリカ人のほうがそういう事を余計になさるようですが>
 <いや 日本が一番多いでしょう。その証拠がありますもん>
 <何です?>
 <法律で禁じているじゃありませんか>
 取り締まっても 取り締まっても 取り締まれないから そこで姦通するものは罪にするぞという法律があるに違いない。そういう考え方もあって<そうじゃありません>といくら弁解しても 弁解が成り立たない。
 <だって そうじゃありませんか。あなた 支那の風習が日本に来たから 日本にそういう法律があるといったって いま 支那にそういう法律ないじゃありませんか。世界中 人の妻たるものが他の男に情交を許す場合は罪に問うぞという法律 どこの国にあります? 日本だけじゃありませんか。だから 日本の女はそうだと思います>と言われたとき 二の句がつげなかったよ。<そうだなあ そう言われれば 確かにそうだ>と こう思いましたよ。
 だから 私はあの憲法改正の時に 会員である岩松三郎君がちょうど 憲法編纂の委員になったから
 <姦通罪の条項をとれ 国辱だ>。そうしたら岩松君が
 <しかし 今でさえそうとう困っているのに これをとったら 我がもの顔に日本の女は盛んにあれでしょう よろめきますよ>というから
 <それでとれないならばね 男にも姦通罪こしらえろ。妻を娶った夫が妻以外の女に情交をあえてした場合 夫ある妻が他の男と貫通した場合と同じように強気にやれ>といったんだ。
 とにかく 姦通罪をとったので ようやく国辱はとれましたけれども。とにかくこれは時代による思想の所産物で<昔はあれだってな いったん結婚したら 女が他の男を好きになるてえと 罪悪なんだってさ。好きになったり 嫌いになったりするのも 人間の考え方で罪にしてたんだねえ。恐ろしい。昔は野蛮な時代があったんだね>と きっと子供たちが笑う時代が来るでしょう。
いかがです あなた方。私が今言ったことに 不思議な顔して私の顔を見ている人があるけれども 実際問題を一つ提供しようか。

―続くー



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