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<心に成功の炎を>34 

2018年05月16日 ナビトモブログ記事
テーマ:中村天風<心に成功の炎を>

 何せ生きているんだからねえ どんなに修養しようと ひもじけりゃ腹がへるしさ 疲れりゃ眠くなるしさ 立ってりゃくたびれるから座りたくなるしさ 座りゃまた痺れがきれるから立ちたくなるというふうになりますよ。どこもどうも感じなくなるんじゃないんだよ。修養して。
 どこもどうも感じなくないと思ったら 墓場に行っちまうのが一番いいんだ。そうすりゃ どうも感じねえから。どんなに雪が降ろうと どんなに暑かろうが 墓場は苦情言わないんだ。生きてる以上は 何かしら感じるよ。何かしらん感じるからこそ生きてんじゃねえか。
 それをね 肉体を我だと思うと そらもう 一顰一生。神経過敏な人になると フーッと風が吹いても 何かこう気持ち悪いような恐ろしいようなふうに思いますがな。そりゃもう 一分一秒といえども そりゃもう瞬きする間も安心できないでしょう。
 肉体を本位にしていたら ちょいとトゲが刺さっても痛いよ。それも 昔からいい言葉があるんだけどもね <心ここにあらざれば 見れども見えず 聴けども聞こえず>。さっきの芝居の話しでわかるじゃねえか。肉体から離れて芝居ばかり見てりゃ 蚊が刺したってわかりゃしねえ。我にかえるからいけないんだ。
 もしも私があなた方のようだったら・・・もう今すでに一時間半この講演をしてる間 何べん脈が不整になったかわかりゃしない。でもなんとも思いやしない。私は生きてるかぎりは生きてると思ってるんだ。生きてられなくなりゃ 黙って死ぬだけの話だ。生まれるのは一人で生まれてきたんだから 死ぬんだって別に人のご厄介にならなくたって 息がとまっちまいさえすりゃ死ねるんだと思ってるから 何とも思いやしない。
 ただ 私は 現在生きてることを楽しんでいるだけなんだ。肉体がどうあろうが こうあろうが そんなことは何ともない。
 私はね 七日間 首かせ 手かせをはめられて 満州でもって土牢の中におっぽりこまれたときに そのとき一つ悟れたんだ。<生まれながらこうだと思えば 何でもねえじゃねえか>。あなた方は <どうしよう こんなになって どうなるんだ>。とすぐ考えてしまう。そらまあね 死ぬまでそうなったからって 苦情いえないじゃないか。まして 生まれつきこうだったら どうなんだよ。
 人生は 心一つの置きどころなんだ。天風精神では 苦しいということがないもん。どんな苦しいときも 苦しみを楽しみにしちゃってるんだもん。
 さっきの話だけれども 私はここにいて 体の具合の悪いことを感じたとき<ああ うれしい それでもこうやってご奉公ができる>と こう思ってる。あなた方だったら<どうしよう ああ 脈が切れてきた ああ 息が苦しい 死んじいやしねえか>大変なもんですよ。
 おかげさまで 肉体を自分だと思わなきゃ 心を自分だと思いやしねえ。霊魂が私を守ってくれてる。そして私の肉体が霊魂が離れるときは死ぬだけの話だ こう思ってる。そうしたら いやも応もありゃしないもん。時がくりゃ そうなるに決まってる。
 しかし よおく考えなさい。人生は百年生きてても 長い月日じゃありませんぜ。私は子供のときにね 80 90といったら大変な長生きだと思った。これからそんなに長く生きたら くたびれちまうだろうと・・・。ところが さてこの年になって顧みてみると なに ちっともくたびれていない。
 とにかく よしんば千年生きていてもね 生きる人はなかろうけれども 夢一瞬の短さだよ
 死んじまってみりゃね。
 さあ である以上は この一生 生きてる間は生きてるようにして生きましょう。
 生きてるように生きろというのは 生きてることを楽しみに生きることなんだよ。どんな場合でもよ。けつが痛かろうが 頭が痛かろうが 熱があろうが 死んでないかぎりは生きてんだ。そうしたら 生きてることを楽しもう。そうすりゃ 治る病なら 黙っていてもすぐ治る。治らない病は どう思ったって治らないんだから そのときはしょうがねえじゃねえか。また どう思ったって治らないんだから それでおしまいになっちまう。
 とにかく 命の一切は正体であるこの<気>にお任せしなさい。これが命の鍵を握ってんだから。この正体が もうすでに心をつくり 肉体をつくってくれて その命を活動させるという大根大本なんだから。自分の正体というものは傷つけられないもの。頭が痛くても 霊魂は痛かないんだよ。心に心配があっても 霊魂は心配しないんだよ。
 だから 断固として それを信念なさい。
 とにかくなれる人はすぐなってほしいけれども なれない人はせめて<なりたいなあ>という気持になりなさい。<そんなこと言ったって おれにはなれねえや> こういう人はもうだめですよ。<これ 真っすぐ行くと東京へいけるよ>といったって <へん 何いってやんだい。そっちへ行って竹やぶへ入っちゃ損だから こっちへ行こう>と 反対のほうへ行きゃ 東京へは行かれやしねえじゃねえか。
 とにかく 侵すべからざる真理というものは あなた方の心で考えた考え方でもって どうにもこうにもなるもんじゃないんだから 現に 生き証人とっして私が これより先なん年生きるか知らないけれども もうすでに大きな長生きをしているじゃないですか。
 とにかく <前車の覆るは後車の戒め>のたとえのとおり 長い人生を極めて朗らかに生きてきた私 しかも 手ひどい病をいまだに体にもってて 少しも病に虐げられないで生きてるこの現在の私を見たら <ははあ ひとえに 一にも二にも三にも四にも 考え方がおれたちと違うからだ>というところに結論づけなさい。
 ちょいと聞くと難しい話。よおく聞いてたら 難しいなんてことは飛びぬけちゃって<わかった ああ うれしい>と思ったでしょう。人ざまざまの理解でしょうが 結局は道しるべたる私の後にくっついておいでになるのが一番幸いだということを申し上げて 今晩の講演を終わりといたします。
    
<積極>の篇 第三章 強い生き方 、、、、終、、、、


 <研心>の篇 

 第四章 心の正体

 今日は 自分というものの正体は体でも心でもない 一つの気体だということを信念かするための話であります。

―続く―



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