メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

平成の虚無僧一路の日記

土方歳三の愛刀 「のさだ兼定」 

2018年05月16日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



新撰組副長「土方歳三」の愛刀は「兼定(かねさだ)」。「燃えよ剣」(司馬遼太郎)では、「池田屋事変で、土方歳三が二尺八寸(刃渡り84cm)の和泉守兼定(之定)を振るった」とあり、多くの書が「土方の愛刀は「関の孫六」                                         とも称された“のさだ”兼定」と書いている。「の定・兼定」は、室町時代の関(岐阜県)の刀工。二代目が「和泉守兼定」を名乗り、銘の「兼」の字の上部が「之」と見えることから「の定」と通称される。兼定の4代目から、会津に移住し、幕末まで 11代続いた。土方歳三の「兼定」は、京都守護職(会津藩主)松平容保から拝領されたもので、「11代和泉守兼元」。つまり、古刀(室町時代)の「2代兼定」ではなく、幕末の新新刀「11代、和泉守兼定」である。土方が池田屋事変の後、故郷の佐藤彦五郎に送った手紙に                                       「2尺8寸の兼定」と書かれてあったそうな、幕末にそんな長い刀があったとは信じがたい。江戸幕府が「刀は2尺3寸」を「定寸」と決めていたはず。
日野の「土方歳三記念館」に展示されている刀は「2尺3寸」。これは松平容保から拝領された「11代兼定」らしい。慶応4年正月、鳥羽伏見で敗れ、日野に帰り、甲陽鎮撫隊として出撃、千葉の流山から会津、そして函館で散った土方歳三が、遺品として佐藤彦五郎に送ったものとのこと。                                  2尺8寸の兼元はどうしたのか。「12代兼定」は いつ入手したのか。その刀は、どのような経路を辿って遺族の元に伝わったのか。いろいろ謎だらけ。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ