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シニアの放課後
<心に成功の炎を>24
2018年05月04日
テーマ:中村天風<心に成功の炎を>
*
いつか私言ったね。私が大正8年にこのお仕事を始めるとき 心の中でひそかに こう思っていた。<今 自分だけが知ってるこういう事柄を 世の中の人は知らないから おれは教えだすんだが しかし 世の中はドンドン ドンドン進歩しているから さあ 20年もこういう仕事をしたら もう20年後の人々はみんな おれの知ってるぐらいのことは周知の時代が来るなあ。その時分には大正が15年で終わるというような形跡はなかったから 少なくとも大正32年ごろの時世になれば 子供はとにかく 大人はみんなこういうことに気がついてくれるときがくるに違いない>と。ところがどっこい どういたしまして。
ちょうど大正32年にあたるであろう年が昭和の17,18年。あの戦争でもって 悟る人が増えるであろうどころじゃありません。悟れない人のほうが増えちまった。そうして くだらない結果を日本につくっちゃった。
戦争の時はこう思いましたよ。<ああ 戦争になったから こんなことになったんだ。これでまあ一段落ついたら 今までと違って この戦争があっただけにかえって 人間の気持の中に 考えていなかったいろいろなことが考えられるようになるに違いない。そうすると 今までよりグンと早く もう10年もたったら・・・・>と思った。
それで昭和30年がまもなくきた。そして どんなふうかいなと思ったら どういたしまして 世の中はしきりに進化するべき情勢にありながら 人間の心だけは 情けない状態が現実で持って私の目の前へ展開してるんですからね。
これはべつに愚痴を言ってるわけじゃありませんけれど そもそもなぜ私が 今日の尊い仕事をはじめたかというと あらゆる苦心惨憺の後に人生真理を知りえて そして自分がその真理によって とにもかくにも 昔よりもはるかに心強い人生に生きられるに至って そのまま何もせずにのんべんと ずっと今日までこられるような種類の人間であったなら 何をかいわんや。真理によって甦ると同時に今度は 自分がその昔 悟らない時代に苦しんで悶えていたあの状態さながらの哀れな人生に生きてる人が多いことをこの目で見たのですから このまま打ち捨てておくべき問題じゃないと思ったんです。
自分自身が 不思議な運命で 本来からいったら とうてい助からない病が助かったそのうえに まさかこんなにまで自分の心が 自分でも惚れ惚れするような 尊く強く正しく清らかに変わったこの事実を考えてみると 私一人だけが今後の人生を幸いに生きよという天の思し召しじゃないぞと こう思ったんです。
それにもう一つ 私の先生の示唆があります。今から考えてみれば 心の中に悟りを促してくれる。今から考えてみれば 心の中に悟りを促してくれる 暗示以上の示唆を与えてくれたんであります。やっぱりもつべきものはいい先生だと いつも思うんでありますが 私を今日有らしめた大きな力の大部分は もちろんインドのカリアッパ先生のあのお導きにあるけれども しかし そのお導きを受ける資格を作ってくれたのは やはり子飼いのときから育てあげられた 恩師 頭山満にあると思っているんです。
インドで まあとにかくにも 普通の人よりも尊い自覚や悟りを得て それでさらに 孫逸仙<孫文>とともに支那<中国>の辛亥革命に従事して 日本を離れて通算7、8年たってから日本に帰ってきた。そのときは 恩師 頭山先生も とうに私がどこで死んだかわからないような最期を遂げたもんだと思いこんでおられたらしい。
そして 私はいきなり 父や母に会う前に 頭山先生のところへ ご挨拶に行ったのであります。
朝 たしか6時ごろ行きました。頭山さんという人は5時ごろ起きる人で 朝遅く行くと出ちまう人ですから。7、8年前までは 私が行っても 玄関から上がったことはないんであります。内玄関から入って そして奥さんが必ず居間におられるから <こんにちは。ご機嫌およろしゅう。御大は?><奥に><ああ 御免なさい>と すぐに部屋に上がったものです。
そのならわしになってますから その日も いつものように内玄関から入ったら 奥さんがおられて <ああら まあ>と驚いてね。そら 驚いたでしょう。始終 話のついでに<あの暴れん坊め どげんしよったか。もうどっかで死んじょろたい>といって話してるところに 突然ポカッと来たんですから 奥さんはびっくりするわね。
それからまあ ご無沙汰のお詫びをして <さて 御大は?>といったら <ちょっと待って>。おや ふだんと違うなと思って <待って>といわれた以上 入るわけにはいかないから そこにいると さあ 30分ぐらい待たされたなあ。ははあ これは7,8年 ご無沙汰してたんで ご換気をこうみったのかなと・・・。これは思わざるをえないわ。
けれども また私の方には理屈があるもんね。通信したくとも 手紙書きたくとも 人里離れたインドの山の中から郵便出すこともできず 今みたいな飛行郵便なんて便利なものがある時代じゃないんだもん。いわんやまして 自分の病を治しながら修行していたというような事実を おわかりくださらない先生じゃないと思ってましたから。それとも 御大 体でも悪くて まだ寝ていらっしゃるかなと思った。
いろいろさまざまの自分なりの空想を頭の中に描いてると 30分ぐらい待ったと思ったときに 今度は奥さんでなく 書生が<どうぞ>と こう言う。はてな と思ってね。でも とやかく聞く必要はないから 黙って行きましたよ。
で 先生のお居間に行くと <どうぞ>と奥さんがおっしゃる。あなた方だとひょいと障子を開けてから <御免>と すぐ入るでしょうけれども 我々のほうじゃ そんな礼儀はないんであります。必ずまず障子を開けて 障子の外でお辞儀して それから2度目の声がかからないと中へ入りません。これ長い間の習慣ですから。
最初 お辞儀して ヒョイと中を見たら頭山先生も奥さんも紋付の着物を着ておられる。
<ありゃりゃ。どっかへお出かけのとこか>と思ってね。これは大変なお妨げをしたなと思ったら <こちらへ>と 今度は先生がおっしゃる。先生が<こちらへ>なんて私に言ったことはありゃしない。先生が私を呼ぶときは 名前を満足に呼ばれたことないんです。いつでも<こら>ですよ。<肩もめ。なんじゃ そのもみ方は。足もめ>。もませられるのはたいてい私の仕事なんだから。外へでかけりゃ 必ず私が下駄をそろえてあげなきゃならない。<こちらへ>なんて言葉は聞いたことありゃしない。
―続くー
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