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シニアの放課後
<心に成功の炎を>25
2018年05月05日
テーマ:中村天風<心に成功の炎を>
キツネにつままれたような気持ちで中へ入った。そうしたら 床の間のとこへ座布団をひとつ据えてね 頭山先生が
<どうぞ>
<いや ここで結構でございます>と こう言ったら
<どうぞ>
<はっ>
鶴の一声というか もう いや応ない。床の間へにじりよって その座布団に半分のった。めったにのれません。先生の前で座布団敷いたことなんかありゃしないもん。そうしたら 奥さんがにこにこ笑いながら
<あのう 申し上げたいことがあります。あとからおりてもよろしゅうございますから 今はすっかりおのりなさいませ>と こう言うから 何だかしらねえけど いよいよキツネにつままれたような気持ちになってね。
妙なもんですよ。のっちゃ悪いような気持ちの座布団の上へのせられたんですからねえ。まあとにかく 仕方がないからのったよ。
そうしたら 頭山先生が
<思いもよらないときに帰ってこられた。今も家内と話したが 8年じゃなあ>と言うから
<はあ>
<あなたは選ばれた人じゃ>
さあわからない。耳を疑ったよ。そうしたら 笑い顔ひとつしないですからね。
<選ばれ人じゃ。クリストは悟りたいために5カ年間 釈迦が6年 マホメットが7年 不思議にこの人たちは1年づつ増えてるが その間どこに行ってたかわからなかった。それであらわれたときは いなくなった前より まったく見違えるような立派な人間になってあらわれた。あなたは そのマホメットよりもう1年長く 8年間どこに行ったか行方知れず。折々家内とも話してた。どっかのわからない国でのたれ死にしてりゃせんか。それが今日帰られた。いや 会わないうちからわかる。立派にあなたは自分自身をつくりかえて帰ってこられた。これは深い天の思し召しがあると思わなきゃならん。『天のまさに大任をこの人にくださんとするや 必ずまずその心志を苦しめる』 まさにあなたがそのとおり。せんじ詰めれば これからのあなたは あなたの人生に生きるでない。人の世のために生きるために あなたは生まれ変わられた。おわかりになったか>
<はっ>
<それじゃあ座布団をおりなさい>
それから座布団をおりて <いやあ 久しぶりじゃったなあ まあこっちへ来い。きょうは一緒にゆっくり飯を食うぞ>と打とけてくれたんだけど その言葉はピーッと私の頭に残りましたよ。
そして 自分が悟りえた後の私は そらもう 自分でももったいないほど 恵まれた人生に生きられる身分になったんです。
もっとも 支那から帰るときに その当時の金でもって弐百万円近くの金をもって帰ってきた。孫逸仙とお互いに亡命するときに分け合った金であります。今 弐百万円なんてのは たいていな人の奥さんがへそくりとしてもっている金だろうけども 米が一升三銭ぐらいのときの弐百万円ていうのは相当大きなものなんだよ。今の金にしたら 少なくとも 20億、30億以上でしょう。その金があったためでもありますが 約3ヵ年というものは じつに私 順調異常の運命に生きられたんであります。
そうして いやゆる本当の心ゆくままの人生に3年間生きてたんだけど やっぱり気のつくときがくる。ありがたいことで 大正8年 5月の31日です。時の陸軍大将の大迫という人が日蓮宗を根本として世の中を救うという 大日本救世団というのをたてられた。その発会式をおこなうにさいして 頭山先生にぜひ壇上に立っていただきたいという。
ところが 頭山先生は <おいどんはしゃべることはでけんたい。天風 ついてこ>。それでついて行きましたよ。
そうしたら 大迫大将が頭山先生を紹介しました。
<千古の栄哲 世界に誇りとする頭山先生を ご紹介する>。そうしたら 壇上に出られた頭山先生 チョコッと頭下げてね 黙って正面むかれた。驚いて時計計ったら 3分黙ってる。耐えかねたか 聴衆の1人が<聞こえませーん>といったよ。そうしたら 前の方の人間が <黙れ お顔だけ拝んでろ>。頭山先生は何ていわれたって知らん顔してなさる。
これはね 度胸以上の度胸もんじゃなきゃあ できる芸当じゃありませんぜ。そうでしょう。雷のごとき急霰の拍手をあびて そしてかりそめにも 陸軍大将が制服を着て厳かに <千古の栄哲 世界に誇りとする頭山先生を ご紹介する>と そしたら コクリと頭さげただけで グッと向こう見て 黙って3分だもんね。私もね 40年 言論生活してるけど 1分ももちませんよ。黙って向こう見てるのは。
あとで聞いてみたら 吹きだすようなことなんです。
<御大 あのとき何を考えていたんです?>といったら
<考えることがなかったんや。ああやって聴衆の気持を落ちつけといてから おぬしば紹介しようと思ってた>
3分間黙っていた。それから<聞こえません><顔見てろ 拝んでろ>みんなに言わせておいてから それから今度はニコッと笑って
<私はしゃべれん男や。私の気持のすべては 天風がここに来てる これにしゃべらせる>
ははあ それじゃあ 俺は今日しゃべるためにここへ連れてこられたんだ。お供で来たつもりなのに そう言われた以上 出ないわけにはいかない。そうかといって 何をしゃべるか聞く必要はありゃせん。この男のしゃべることは自分の気持ちだってんですから 私は頭山先生になって 約1時間しゃべった。
それでしゃべったときだ。ふっと私の心の中に 尊い本心 良心が輝きだしたんだな。演壇を降りると ただちに頭山先生の前に言って
<今日ただいまから一切の社会的事業と縁をきります。そして 樹下石上を家となすとも 日本民族の魂の入れかえに従事したいと思います>
<うん やれ>
この一言で私は 6月の8日までの一週間に全財産の整理をつけて ただ家内が一生食えるだけの金だけは残しておいて 私は一文なしのスッテンテレツクになって この仕事をはじめたんです。
―続くー
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