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<心に成功の炎を>22 

2018年05月02日 ナビトモブログ記事
テーマ:中村天風<心に成功の炎を>

 ところが あなた方は 心をつねに弱々しく生かしてる。その結果が 言葉も少しも勢いがなく 態度においちゃあもう本当に 時によると死んでんだか 生きてんだか つっついてみなきゃわからない。暮れの町のにぎわっているようなところを歩きゃ 哀れはかなき状態で 懐に銭はねえわ 腹はへってるわ 今にも地獄の底へ引きずり込まれそうな顔色と態度で歩いてる。
 そうすると 自分自身の言葉や態度で 自分自身がその暗示の同化を受けてしまうんです。
 おかしくも何ともないときに 嘘でもいいから笑ってごらん。
 今夜 家に帰って 家の者に一応断らなきゃいけない。<ちょいとおれは 今日教わった講演を試してみるんだから 気が違ったんでもなんでもねえから安心してくれ>と言っておいて 人の前でもいいけど やりにくかろうから 人のいないところへ行って 鏡がなくてもできるけど 鏡をだしゃなおいいから 鏡に顔を映して <ハハハハハハハハ・・・>と笑ってごらん。きっとおかしくなる。笑うにつれて腹が立ってくることは絶対ないからね。そういうものなんだよ。人間の心というのは。
 閻魔様が塩をなめたような顔をして人生に生きるよりは ちょっとやそっと人から阿呆と思われてもいいから もう少しにこにこした顔になりなさい ねえ。
 人としてこの世の中に生まれて一番大切なことは 人に嫌われる人間になるんでなく 好かれる人間になることなんだよ。どうだい あなた方 苦虫つぶして へんてこな面してるやつのほうがいいかい? それとも 何かなし にこにこしてるやつのほうがいいか どっちだ?
 
 とはいうものの 最初 私も笑えなかった男だったんです。私の師匠 頭山満さんによくからかわれたよ。<ぬしは笑ったことあるか>と聞かれたことがある。考えてみると あんまり笑ったことないわ 私。笑うようなおもしろいことも おかしいこともねえもんだから 笑わない。 
 ところが あの頭山満という人 ひとたびまなじりを決せば 支那四百余州を震撼せしめるというぐらいな偉大な英雄であっても しょっちゅう にこにこ笑ってますわ。腹立ったの見たことないんだもん。
 いつも私が思い出すのは 一緒にお供して 御殿山に行くときね 尾張町で電車を乗りかえて それから品川行きの電車に乗りかえなきゃならない。お供してるんですから 私が先達になって 先生のお手を引いて 電車から降りようとしたら 先生が
 <今日は おいどん 切符もっちょるぞ>という。
 <ああ そうですか>
 珍しいことだと思って そして尾張町について切符を車掌に出した。そうしたら車掌が
 <ばか そんなもん通用するか>と こう言った。
 通用しませんよ。何でも10年ばかり前の切符を出したんだから。
 それを聞くと同時に 私はもうすぐ 運転台の前にレバーがありますが あれを取って 
 <なにを このやろう>
 天下の英雄 頭山満に対して ばかやろうなんて言いやがったんだからね。そうしたら 頭山先生 にこにこ笑いながら
 <ああ ああ おれが悪かったんじゃ。通用せん切符じゃったかい。悪かった。堪忍せい。いくらじゃ>
 その時分は八銭だった。
 <天風 八銭出せ。おれが悪かった。勘弁してくれ。気がつかんじゃった>
 そのとき私はね 何のこだわりもなく にこにこ笑いながら <おれが悪かった>といったその姿を 後光がさすように尊く感じた。<ああ これが本当の度胸のある男だなあ>と思いましたよ。
 そして 品川線に乗ってから 先生に
 <ああゆうとき怒っちゃならんぞ きさま>
 <先生を 失礼千万な ばかやろうと言ったから>
 <ばかじゃから ばかと言われたんじゃ。通用せん切符出しゃ ばかじゃい。 あれは本当のことを言ったんじゃ。それを怒るやつがあるか>といって 今度あべこべに怒られました。
 やっぱり偉大な人は偉大なところがあると思って つくづく感心したんですが。
 とにかくね 女は怒っていいというわけじゃないけれども とりわけて男がだ 男子いったんまなじりを決するのは事国家に関するときだけだ。くだらねえことでもってまなじりを決するなんてのは男の恥だぜ。私は家にいて 家庭でほかの者がどんなしくじりをしても けっして小言を言わない。腹が立たないもん 私は。こういう人々を養ってる私が一番の養い手だと思えば 責任はこっちにある。男がくだらねえことで怒るようだったら だめだぜ。
 
 それから 最後に教えることは 神経の反射神経を調節して心の乱れを防ぐ方法。

ー続くー



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