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<心に成功の炎を>21 

2018年05月01日 ナビトモブログ記事
テーマ:中村天風<心に成功の炎を>

 芝居ひとつ見たってそうじゃないですか。心中しに行くやつが お祭りに行くような歩き方をしてたら 心中とは受けとれないわね。お祭りに行くやつが 心中するような気持の歩き方をしたら お祭りとは受けとれないと同じように 態度ってやつはすぐ心に映るんです。
 なかには <いや もう先生がおっしゃることはいちいちごもっともで ようわかっとります。けれども なかなか先生 むずかしいおまんなあ 先生のようになるのは。えらいこっちゃ>なんて言う人があるんです。がっかりしちまうよ。やっていれば やがて私のようになれる方法を教えてるんだもん。
 早い話が 大阪から東京のほうを向いて歩き出したら やがて時きたらば きっと東京へ行けるはずじゃないですか ねえ 歩いたっていけるんだ。汽車に乗りゃ もっと速く行けるわい。それを大阪から東京の方を向いて歩き出しながら 九州の方を向いて歩いてるような気持になっていたらば どうなる 一体? 同じ着くんだって 楽しみが何にもないじゃないか。
 <先生はえらいからできるんで 凡人の私にはなかなかできません>なんて 変なところに謙遜しなさんなよ。謙遜のいらないときに謙遜する人が多いよ。
 真理に自分というものが順応して生きようという気持のでたときは もう
すでに真理に順応して生きてる人間なんです。その誇りを自分の心に持たせなきゃ。模倣(まね)も真に迫れば もう事実と同化するんです。それをあなた方は よくないほうの模倣(まね)は真実と同じようにしちゃってる。いい方の模倣(まね)をしたらどうです。
 <私は積極的な人間 惨めなつまらないことに心を怒らせたり 泣かせたり 恐れさせたりするような 価値のない心を持ってる人間じゃない。私はすぐれた人間だ 昔の人間じゃないんだ 今は>と こういうふうなプライドを持たせたらどうなの。にせものが本物以上になったら にせもの以上になれるんですよ。
 山岡鉄舟という人はすばらしい字を書きます。ところが ある日 銀座の夜店を見てるときにね 古道具屋が
 <だんな いかがです 鉄舟先生の本物>
 鉄舟がたってるとは知らずしてね。
 <どうです? たった3両。いかがです?>
 鉄舟の脇にくっついているお伴の者は 鉄舟先生の字を知ってます。明らかににせものだということはわかってる。それを何と思ったのか じっと見ていた鉄舟がいきなり懐中に手を入れて
 <3両か 買おう>
 そのときに小さな声で そのお伴の者が
 <先生 書いた覚えないんでしょう。にせものですよ あれは>
 <うん>
 <偽者を承知で買うんですか>
 <おれよりうまいじゃねえか あれ書いて手本にする>と こう言ったというんです。
 同じような話でもって いっぺん私 羽左衛門(歌舞伎役者十五世市村羽左衛門)と一緒に隅田川のわきの柳橋の柳光亭で飯を食ったときです。その当時は必ず隅田川に声色を語る人が舟で 三味線だの ドラだの 拍子木をたたいて来たもんなんです。川面にむかってずっと座敷がこしらえてあるもんですから 舟をこぎ上げちゃあ
 <へい おやかましゅう。成駒屋 新駒屋 一席ご機嫌を>
 同席の芸者が
 <あら 声色屋さんがきたわ>
 <おっ 玄冶店 ひとつやらせろ>
 自分が得意ですわね。与三郎の <しがねえ恋が情けのあだ>を羽左衛門の声色でやらせたんだよ。羽左衛門が聞いているとも知らず。あの鼻にかかった天下一品の声でもって みごとな声色なんだ。羽左衛門になりきっているんだよ。
 羽左衛門はそれをじいっとしまいまで聞いててね 聞き惚れちまったんだ。真似も真にせまれば ほんもの以上になるということ わかったかい?
 つまり結局 態度というものがどれだけ人生の全体を支配するかわからないということを考えなきゃだめなんですぜ。

―続くー



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