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シニアの放課後

<心に成功の炎を>15 

2018年04月24日 ナビトモブログ記事
テーマ:中村天風<心に成功の炎を>

 ある朝 顔を洗ってますと 何かこう胸にこみあげてきたものがあたんです。さては夕べの飲みすぎかなと思って 自分で指をつっこんではいたら 真っ赤な血だ。その脇に陸軍の中尉がおりまして
 <大尉どの どうなさいました>
 <鼻血だろう>
 <いや 鼻血じゃない。鼻血はこんな泡のある血じゃない。悪いことは言わない。すぐに医局にいきましょう>
 <なんで そんなに慌てるんだ>
 <実は 私の兄がこれと同じ病で死んだんであります>
 これは決して私を脅かすつもりで言った言葉じゃないんですけれども 親切な言葉で思いやり深く言った言葉でも これは善意の悪意になりますがな。<私の兄貴はこの病で死んじゃったんですよ>と言われたとき 私はハッと思っちゃったんです。
 前は死ぬことなんかなんとも思っていなかった。現に 明治37年3月21日 ロシアのコザック騎兵につかまりまして そして朝の5時に死刑の宣告をうけて 7時に断頭台上に立たされた私。今これから処刑されるというときに そこに居た日本語の少しわかる満州人の通訳に
 <撃ちそこなうな 間違っても生殺しにするな。おれの心臓はここだ。おれが手をやっているところを狙って撃て いいな そう撃ち手に伝えろ。おれはおれの体のどこに弾があたって死ぬか はっきり覚えて死にたいんだ。目かくしなんかいらねえ>と言ったら
 <あんたは恐ろしく気の強い人だなあ>と言いましたよ。そして 私は
 <日本人なら 当たり前だ>と言ってやった。
 私はほんとうにしぬことは恐ろしいとは思わない男だったんです。
 その人間がだよ 時と所の違いによって なんとも思わなかった死に対する恐怖が 絵にも筆にもかけないほど こりゃもう心全体をつつんじゃった。<私の兄貴もそれと同じ血をはいて死んじまいました>と聞いたとき フゥーッとおののきを感じてしまったんです。
 そして それを言われたら 今度はよく歩けないんだ。そうなっちまうと 人間なんて哀れなほど情けないもんねえ。血は肺から出たんだ。足から出たんじゃないんだから 歩けそうなもんだけれど 歩けなくなってしまったんです。
 そして 中尉の肩に手をかけて 半分はしょわれるようにして 医務局に行った。そうしたら そこにいた軍医が
 <こりゃ たいへんだ。これを今まで知らずにいたのかい? 何か今までこれはと思い当たることがなかったかい?>
 <ありません>
 <そうか 前はよほど丈夫だったんだね>
 <はあ>
 <弱けりゃ これに気づくんだがなあ。とにかく絶対安静。チョイとでも動いちゃだめだ。寝返りもだめ 絶対安静>と言われた。
 私は戦争中何べんか 牢屋にぶちこまれたことがあるけれども 牢屋に入っているときだって 医者から絶対安静と言われたときより つらくなかったもんねえ。
 そうして 私を看護する人が口々に
 <えらい病にかかりましたなあ あんたは。今までたいして悪いことをなさらなかったと聞いているが この病で助かったものはないですよ>って言うから ますますもって 情けない弱い気持になっちゃたんであります。
 そして 私が入院していたときのある夜 私の母が見舞いに来てくれたんです。母は哀れな病にかかった私をなぐさめようと思って
 <三郎(天風師)や 月を見てごらん。きれいなお月さまだよ>といって そこにいた看護婦に頼んで 私が寝ていた布団を座敷の真ん中から月の見える縁側近くに引き寄せてくれたんです。
 <さあ ここならよく見えるでしょう。なんてきれいなお月さまなんでしょう>と母はいわれたけれども 私は黙って背中を縁側のほうに向けたまま月を見ようとしなかったんです。それでも 母はだまっておられた。
 その夜中 私は一人で考えましたよ。<ああ なんであんなことをしちゃったんだろう。なぜ月を見る気持になれなかったんだろう。母の私を慰めようという気持を知りながら それを平気でふみにじった。今のおれは なんてあさましい気持なんだ 病に負けている。この気持のもち方をかえなければならないぞ>と真剣に思ったんです。

―続くー



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