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<心に成功の炎を>9 

2018年04月17日 ナビトモブログ記事
テーマ:中村天風<心に成功の炎を>

         *

 これはあまりにも世の中に知れ渡った事実ですから お聞きになったことがある人もいらっしゃるでしょうが 私はアメリカのロックフェラー(三世)から 昭和22年以後 今日までに数回にわたる招聘を受けているんです。
 ご存知のように ロックフェラーという人は 世界有数の金持ちであり 極めて尊い篤志家でもあります。そして 彼が今から20年前に 世界中から4百人ほどの学者を集めて 人類の福祉増進のための研究所を作ったことは 世界的に著名な事実です。
 その彼が 敗戦国の一老学究にすぎない私に 首に縄をつけても引っぱっていきたいような熱心さで<アメリカに来てくれ アメリカに来てくれ>というのは 私がその感情の統御の<How to do>を説いているという点に いちばんの大きな関心をもったからなんです。
 それは 科学がこれだけ発達して 文化がクライマックスに達したかのごとく見える現代でも こと人生に関する限りは 肝心かなめのことがまだわからない。彼らの研究の努力によっても 本当にそのキーをつかまえていないんであります。
 その肝心かなめのことは何だというと<How to do>ということなんです。
 私が はじめてロックフェラーに会ったのは 昭和22年に アメリカのスター アンド ストライプスの記者を集めて第一回目の講演のときでした。そこで はじめて私の話を聞いたときに ロックフェラーは <あっ これだ>と思ったらしんだな。
 そもそも最初に私が スター アンド ストライプスの記者クラブの招聘を受けたのは 太平洋戦争中 私が疎開しておりました茨城県で B29で不時着した 1人のアメリカ兵とであったことから始まっているんです。言ってみれば このアメリカ兵が 私とロックフェラーを引きあわせる運命をつくったといっても過言ではない。
 思いおこせば 昭和16年12月8日からの4か年間 この4カ年間が いちばん私の人生の歴史の中で 本当の文字どおりの苦難の毎日でした。
 なぜかといえば あくまでこの戦争に反対しなきゃいられない私の気分は どんな場合であっても この戦争に少しでも賛成するような言葉は吐けません。まして演壇に立ったら 時の政府や軍閥の悪口を言ってるもんですから しょっちゅう私に憲兵が2人ついていましたよ。あるときは 演壇の上から総理大臣の悪口を言って 1週間の拘留を食っちゃった。どういうわけか 私が皇族講演の講師だって事がわかったら 今度は警視総監が来て謝るんだ。まあとにかく 手をかえ 品をかえて弾圧を受けましたよ。
 そして 戦争もだんだん苛烈になってきて 東京が昭和20年5月の25日 第三回目の大空襲によって全滅 その明け方にB29の搭乗員である飛行中尉が 私の家族の疎開しているすぐわきの田んぼに不時着したんです。
 それをお百姓が発見して よってたかって袋だたきにしちゃったんです。そして彼を荒縄で縛って 交番所へ連れてきたところへ 私がヒョイと通りかかった。
 <何だ この人ごみは> 
 <今 飛行機でおりた捕虜がつかまったんです>
 彼は荒縄で後ろ手に縛られて 目隠しをされて立たされていた。 その前で 傲然と 巡査部長がいすに腰掛け そのわきに普通の巡査が1人。そして日本語で盛んに怒鳴ってるんだ。表のほうじゃ お百姓たちが
 <文句いわねえで出してくれ 巡査さん。部長さんよ 頼むぜ。もう少しぶん殴ってやりてえだ>とわめいている。
 それで私 その部長を知ってますから いきなり駐在所へ入って
 <おい 縄を解いてあげろ>
 <いや そんなことをしたら大変です。憲兵隊からの命令で すべての捕虜はこういうふうにしろということです>
 <よろしい 憲兵隊の隊長はおれの弟子だ。おれが許す。解け>
 躊躇して解かないんですよ。これはおっかねえもんね。それで私が解いちゃった。
 <ようございますか>
 <黙っとれ 責任はおれが負うから>
 それから目隠しをとろうと思ったら 巡査が<それはやめてください>というわけだ。
 <なぜ?>
 <目を開けたら様子がわかる>と言うから
 <あほ どんな目のいいやつだってね 生まれてはじめてのところへ行って 目隠しをとられて キョロキョロしたって何がわかるんだ 駐在所の狭い部屋の中で>
 そしてね とにかく椅子に腰掛けさせた。田舎の村の中でもって とにかく英語を流暢にに話す人間に会ったんですから むこうも喜んだ。
 <疲れてるようだが 何か食べたいものあるか>
 <落下傘からおりてから見つかるまでの間に携帯口糧をすっかり食べたから 腹はへってない。ただ のどが渇いてるから 水でも緑茶でもいいから飲ませてくれ>
 <おい 一番いい茶があるだろう。茶を立てろ>
 <先生 ようございますか>
 <いい おれが飲みてえと言ったらどうする?>
 <先生にはさしあげます>
 <じゃあおれによこせ。おれがやるから同じことだ>
 それから今度は交番所の前に出て
 <おいおい 何を騒いでるんだ。いま聞いてるてえと 中に入ってる人を出せというが この中に入ってる人はね アメリカの飛行中尉だ。士官なんだ。おまえらじゃわからんかもしれんけれども>
 そして <外へだしゃあ おまえたちが半殺しの目に遭わせちまうだろうけれども そうしたらおまえたちも懲役に行くぞ。こういう人の身柄を自由にする権利は軍隊にあるだけだ。だから 私はあんた方に聞きたい。あんた方の中で 息子が戦争に行ってる者がいたら手を挙げろ>。みんな手を挙げた。だいぶ行ってるんだ。
 <それじゃあいま手を上げた人に聞くが おまえたちの息子が戦地で アメリカの人々にとっつかまってこういう目に遭ったとき いいか アメリカの人間がそこへわんさか集まってきて 袋だたきにする 半殺しにするといって それをあとで聞いたら おまえたち うれしいか>
 わかったとみえて 黙っている。
 <ええ? それがうれしいと思ったら 今 ここに出してやるから どうでもしろ。けどそれが後に世界に伝わって 日本人は鬼よりも無慈悲だといわれたときに 名誉じゃないということを考えないか。引き取りなさい。忙しいお百姓の仕事をしているおまえさんたちがそこでわあわあ騒いだからったって この戦争に勝てるもんじゃない。帰んなさい>
 そう言ってから 駐在所の中に入って すぐに知事に電話をかけた。そして 車をこさせて 私もそれに乗って一緒に憲兵隊に行ったよ。

ー続くー



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