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<心に成功の炎を>4 

2018年04月11日 ナビトモブログ記事
テーマ:中村天風<心に成功の炎を>

 それは 何をさておいても まず第一番に必要なのは 人生に生きる刹那 刹那に 体よりも心というものを大事に考えて積極的に生かさなきゃいけないということです。
 人間としてこの世にうまれた以上は どんな場合があっても 心の態度を積極的に生きる。人生の一切合財を始終プラスの状態にあらしめる。
 これが理想的な人生を貫くためのいちばん必要なことなんです。ちょうど家を建てるときの土台と同じようなものなんであります。
 それでないと ただ生きていられるから生きているという 漫然たる生きがいのない人生だけが残ってしまう。究極において 人生の幸福などということは味わおうと思っても味わえない結果しか来ないんです。
 ところが これだけ熱心に私の話を聞いている人の中にも 時によると 心の中に消極的な波を起こし そして 悪いということを万万知っているはずなんだけど この心理が実行できない人が多いんです。
 とくに 生活に豊かさを持っている人であるとか あるいは健康にそうとう恵まれているというような人は 心理に対する反逆者とまではいわないまでも しばしば心理の外で生きておられるような人が多いのであります。
 そういう人は理屈をつけてますよ。<なるほど理屈ではそうかもしれないけれども 天風さんの言うとおり なかなかきちんと行く者じゃない>なんてね。それでまあ一時 自分だけは納得するかもしれないが 真理というものは あなた方の理屈に同情はしないんです。
 自然界に存在する人間へのおきてはまことに厳しい。しかも これは千古変わらず 久遠のその昔から永遠の将来まで 証として実存している。真理のほうは<おまえはそういう場合だから特別にみよう。まあとにかく 今度は機嫌のいいとき教わったようにおしよ>というようなことは言いやしません。どんな身分の人だって 心理にそむいちゃったらだめなんですぜ。
 真理は峻厳にして侵すべからず。間違った生き方に対する正しい心構えが万が一にも用意されないと たちまち 事実があなた方に反省を促します。
 その反省を促す事実とはいかにといえば 病なり不運なりです。
 どうも現代の文化教養を受けている理知階級は 人生に侵すべからざるコンペンセーション(報償)の法則があるということに対して 正しい自覚を持っていない傾向をしばしば事実として感じせしめられるんです。
 いかがです? 病になったり 不運になったりしたとき おおむね多くのあなた方の考え方は <罪は自分にあるんじゃない。かくなった責任は私じゃない>と こういう風に考えていやしませんか。
 風邪ひとつひくんだって 自分がまいた種に花が咲いたんです。でも そういう場合には 自分に種をまいた覚えがないと 自分に何の責任もないと思う。
 <風邪ひいたのか。どうして?>
 <どうしてって わかるかい。知ってて風邪ひきゃ おまえ 物好きじゃねえか。目が覚めたら風邪ひいてたんだよ>なんてことを平気で言う人がありますが それが とりもなおさず文化の教養を受けた人間なんです。
 ましていわんや 事業に失敗したり 商売をうまくやれなかった人間なんかは けっして 自分にその責めを負うて考えようとしません。<汗水たらして おまえさん 人の寝る間も寝ないで働いていたってね。時世だよ こういう時代だ 儲からねえのが当たり前じゃねえか。ああ 嫌だ嫌だ こんな世の中は>なんてね。
 それじゃあ みんな嫌がってるかと思うと なかには成功している人もある。
 そういう人間をとっつかまえて <あんなのは運だよ。結局要するに 宝くじに当たるようなもんだ。あんちくしょうだって 成功するつもりで成功したんじゃないよ。気がついたら成功してたんだ。まあ 一万人の中の一人成功して あとの9999人は失敗するんだよ。それが当たり前だ>なんてことを 間違ってない断定のように考えている人がいやしませんか。
 どんなことであろうと 事の大小は問いません。自分の知る 知らないとを問わない。すべての人生の出来事は偶然に生じたものじゃありません。アクシデント<事故>というものは 自己が知る 知らないとを問わず 必ず自己がまいた種に花が咲き 実がなったんです。
 <生きる心構え>というものに正しい自覚が そして反省が 常に油断なく行なわれていないで生きていると ぜんぜん自分が気がつかないような悪い種を 健康的にも運命的な方面にもまいてしまうんです。
<1行空く>

ー続くー



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