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岩倉具視(近代の黒幕) 

2018年03月29日 外部ブログ記事
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岩倉具視(薩長藩に裏から指示し、討幕をはたす)

岩倉具視(明治初期の有力な政治家)
 ☆政治活動の始まりは、八十八卿列参運動から
 ☆堀田正睦閣老が日米修好通商条約の許可を取るため上京する
 ☆九条関白は、その考えに賛同したが、多くの公家らは反対
 ☆岩倉も、朝権の回復を念願していたために反対の立場
 ☆九条関白の後押しにより、許可が下りる
 ☆岩倉は九条関白案撤回のため、列参運動(デモ行進)を開始する
 (多くの公家が参加し、孝明天皇は条約承認を撤回する)
 ☆絶対的な力をもっていた関白の意見が敗れ、関白の権威失墜した
桜田門外の変
 ☆大老・井伊直弼が亡くなる(岩倉は王政復古の機とみた)
 ☆王政復古を推し進めるには、幕府と朝廷の仲を修復する必要
 ☆岩倉は、公武合体に賛同し、徳川家茂と皇女・和宮の婚姻に賛成した
 ☆岩倉が降嫁に賛成したことは、尊攘思想の志士たちから痛烈な批判を受ける
 ☆岩倉は辞官、出家を申し付けられ、岩倉表舞台から退く
岩倉政治の表舞台に再び返り咲く
 ☆岩倉は、松尾相永の訪問を受け、同志たちとの交流を再会
 ☆岩倉は、一条斉敬関白、朝彦親王の追放を参謀した
 ☆岩倉が黒幕として動き始める
 (坂本龍馬や大久保利通らと協力し、薩長両藩に討幕の密令を出す)
岩倉新政府での活躍
 ☆参与、議定を務め、副総裁、輔相(新政府最高位)となった
 ☆皇室基盤の強化に力を注ぎ、新政府の中枢人物として権力を握った
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『日本史”悪役”100人(世界文化社)』




岩倉具視(近代の黒幕)(『日本史”悪役”100人』記事より画像引用)

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