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島津義弘(戦国大名島津四兄弟の次男2) 

2018年03月29日 外部ブログ記事
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島津義弘(合戦の連続であった)

☆都内品川区に島津家が残した竹林

鹿児島城(別名鶴丸城)
 ☆島津家久は鹿児島城の築城に着手
 ☆家久は「城をもって城となさず、人をもって城となす」とし天守も造らなかった
 ☆鹿児島城は、現在堀と石垣が残るのみ
 (77万石の大藩・薩摩の大守の居城としては城域が小さい)
仙巌園(株式会社運営)
 ☆19代島津光久が別邸として造ったもの(総面積は約5万?)
 ☆大名の庭園は、県か市、財団法人の経営が多い
 (都内の大名の庭園もほとんど都立)
 ☆同園には、レストランやみやげ物屋が軒を連ねている
 ☆園内には、島津家歴代の当主を祀る鶴嶺神社が鎮座している
 ☆関ヶ原で残ったからこその神社である
正門と錫門
 ☆仙巌園に29代島津忠義が建てた正門がある
 ☆島津家の家紋である丸十と五七の桐が彫りこまれている
 (五七の桐紋は足利幕府や豊臣秀吉に使用を許されたもの)
 ☆錫門は、薩摩の特産品であった錫で屋根を葺いた朱漆塗りの門
望嶽楼(ぼうがくろう)
 ☆島津光久の時代に琉球王国から贈られた建物
 ☆藩主が琉球使節と面会する際に使用された
 ☆床や額に中国、琉球文化の影響が見られる
江南竹林
 ☆21代島津吉貴が、中国から竹2株を取り寄せ移植した
 ☆その竹は見事に生育し、ここから全国に広まった
 ☆品川区戸越村の農民の生活を向上を考え、タケノコ栽培を実施した
 (薩摩藩屋敷から孟宗竹の新株を入手)
 ☆数年後には竹林になり、戸越付近は江戸末期タケノコの産地になった
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『戦国と幕末(ハーツ&マインズ)』










島津義弘(戦国大名2)(『戦国と幕末』記事より画像引用)

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