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平成の虚無僧一路の日記
一休と住吉神宮との知られざる関係
2018年03月24日
テーマ:テーマ無し
大阪の「住吉神宮」と「一休」(1394〜1481)とは 深い結びつきがあったことは、意外に知られていない。『一休和尚行実及年譜』によれば、一休は文明元年(1469年)75歳の時、京田辺の酬恩庵を出で、住吉に移り住んだ。翌年、住吉神宮に参詣し、盲目の女性「森女」に出会う。半年後にまた住吉で「森女」に再会し、「森女」と同棲する。文明6年(1474年)、80歳の時、後土御門天皇の請願により、一休は大徳寺の住持となり、応仁の乱で焼けた大徳寺の再建にとりかかる。そして文明10年(1478)、86歳。「森女」を連れて酬恩庵に戻り、三年後の文明13年(1481)。87歳(かぞえ88歳)で往生する。つまり、大徳寺の住持に任ぜられた時、一休は京都には居なかったことになる。その後も、住吉から堺に出向いては、堺の豪商「尾和宗臨」らに大徳寺再建の資金を工面してもらったりしていたのだ。そして、大徳寺の山門、本堂が完成した文明10年(1478)に京都に戻っている。その前に、一休はなぜ「住吉」に移り住んだのか。この疑問が最近 ようやく解けた。「住吉神宮」は、後醍醐天皇の皇子「後村上天皇」が、正平6年(1351)から、正平23年(1368)年、41歳で亡くなられるまで17年間「南朝の行在所」だった。一休が生まれる前のことだが、一休の母は「後小松天皇」の寵愛をうけて一休を身ごもったが、「南朝方の忠臣の娘」ということで宮中を追われた。一休にしてみれば、北朝の「後小松天皇」の子というより、「南朝」の母方に、より恋慕の情があったと考えられる。一休が「住吉神宮」に長く滞在していたことで、一休の南朝びいきは明白となる。そして、なんと「住吉神宮」は明治の廃仏毀釈まで「神仏融合」で、神官の「津守」氏は「住吉寺」の住職も兼ねており、なんとなんと「大徳寺」の住持にもなっていたのだ。しかるべき肩書きも印可状も持たない「一休」は大徳寺の住持になる資格が無かった。そもそもそのようなものは毛嫌いして、生涯、一托鉢僧として生きてきた「一休」だったが、80歳を過ぎた最晩年、大徳寺の開祖「大燈国師」の遺鉢を継ぐものは我一人との思いを強くする。しかし、その資質はあっても資格(免許状)が無い。そこで、一休は「住吉神宮」の神主兼大徳寺住持だった「津守」氏を頼り、その推挙を得て、「大徳寺の住持」になったのである。このことに気づくと、「森女」の存在が重要なものとなってくる。小椋圭氏などは、住吉の境内に棲んでいた盲目の乞食女のようにとらえているが、とんでもない。住吉神宮は、古来「舞楽」を継承していた。「森女」は住吉の神官「津守」氏の娘で、舞楽を務める巫女だったと考えてよいのではないだろうか。一休は、「森女」を娶ることで「津守」氏と深い関係を築き、大徳寺の住持になれたのだ。「狂雲集」には「大徳寺の住持」就任を前に「森女」との出会いと赤裸々な愛の詩を書き連ねている。「狂雲集」を「一休が長い放浪の末に「大徳寺の住持」になるまでの壮大な叙事詩と考えれば、「森女」の詩が単なる一休の色事ではないことは明白である。ところが、このことはほとんど知られていない。
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