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平成の虚無僧一路の日記
一休の母の墓が大阪門真市に
2018年03月13日
テーマ:テーマ無し
一休の母について、日野照子、日野中納言の娘伊予局とか、藤原顕純の娘、花山院の娘などと、色々云われているが全部嘘である。根拠は全く無い。母について書かれた唯一の書は、一休没後まもなく弟子達によって編纂された『一休和尚年譜』である。そこには、「母は藤原氏、南朝の高官の胤、後小松帝の寵愛を受けていたが、懐剣を隠し持って帝の命を狙っていると后に讒言されて、宮中を追われ、民間にはいって一休を生んだ」としか書かれていない。日野とするのは、後年楠木の残党が禁裏を襲って三種の神器を奪う事件が起きた時、日野某が手引きしたことによるものと考えられる。『歴史読本』の昭和36年1月号に「一休さんは楠木正成の子孫だった」と
いうニュース記事が載った。「毎日新聞」から転載されたもの。
大阪府文化財保護委員で大阪経済大学教授の「東 光治」が「北河内郡、
門真町の史料編纂中に、守口市馬場町の米穀商「楠正治」さん方に伝わる
『橘姓楠家倉氏系図』を詳査し、発表した。
古系図は、タテ18cm、横10cmのもので、「楠木正成の三男・正儀(まさのり)の
子正澄が、河内倉満ノ荘津田村(現・枚方市)から、八箇ノ荘水島(現・河内郡
門真町三島)に移住し、従者7人とともに、このあたりを開墾した。そして正澄の
三女が後小松天皇の官女に上ったが、仔細あって退官し一休を産んだ」と
書かれているという。
?『一休和尚年譜』には、「母は藤原氏、南朝の高官の血筋であり、
後小松天皇の寵愛を受けていたが、帝の命を狙っていると讒言されて
宮中を追われ、民間に入って一休を 生んだ」とある。
?
門真市三ツ島には一休の生母のものと伝わる墓がある。地下鉄鶴見緑地線の終着駅「門真南駅」を約500m程北へ行った所、大阪門真市三ツ島の「三ツ島公園」内。これが、昭和36年に『橘姓楠家倉氏系図』が発見される以前から在ったものなら、興味深い。後のものならニュースに便乗したものだ。さて、では「楠正儀」とは誰か。「正儀」は楠木正成の三男。楠木正行、正時の弟である。父・楠正成(まさしげ)、兄・正行(まさつら)、正時が相次いで戦死し、“南朝の忠臣”として祀り上げられたのに対して、「正儀」は北朝の後小松天皇と足利三代将軍義満に降り、摂津、河内の守護に任ぜられている。江戸時代後半から太平洋戦争までの「皇国史観」では、「正儀」は“裏切り者”“父や兄たちの名声に泥を塗った”として抹殺されていた。だから『橘姓楠家倉氏系図』も世に出せない事情があったのだ。この系図には「楠正儀と三男正澄が河内国(大阪府)の倉満庄 津田村(枚方市)に移り住んだ」とある。「大阪府門真市教育委員会の説明板」では「隠れ住んだ」と書かれているが、「正儀は 1369年、河内と和泉、摂津の住吉郡の守護職に任ぜられているので、公に移り住んだのであろう。しかし 1382年 「正儀」はまた南朝に寝返る。だが、三男の正澄は、北朝側に留まったのであろう。北朝への忠節を示す“人質”として、娘を宮中に差し入れた。「楠姓」では いかにもまずいので、名目上は「藤原」姓の公家の養女として入内したのであろう。そして、1392年「南北朝の合一」が成り、三種の神器が北朝に渡される。しかし、義満に騙されたと知った南朝側が、再び神器を奪い返そうとする不穏な動きがあり、正澄の娘も「懐中に懐剣を偲ばせ、帝の命を狙っている」と疑われ、宮中を追われるのである。そして、門真市の辺り にわび住まいして「一休」を生んだ。一休が生まれたのは、南北朝合一が成った1年半後の1394年1月1日。
追記
「東光治(あずま こうじ)」教授が発表したのですが、何かの記事に 「今東光氏も楠木説」とあって笑ってしまった。今氏もあの世で ビックリしていることだろう。
>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)
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