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平成の虚無僧一路の日記

一休が安国寺に入れられた訳 

2018年03月13日 外部ブログ記事
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一休は、都を離れた村里で生まれたはずですが、父は 北朝の「後小松天皇」であり、母は「南朝の臣、楠木正儀の孫娘」とあっては幕府も放っておけません。「義満」の命によって、一休は6歳で母親から引き離され「安国寺」に入れられます。天皇の子であり第一皇子ですから、皇位継承者であったのですが、                                 安国寺の入れられた理由はもうひとつ。足利義満はわが子「義嗣」を                                次の天皇にしようと企みます。事実、義嗣の立太子の儀式を行っています。                             足利義満にとっては一休が邪魔だったのです。
「安国寺」は、足利尊氏が、後醍醐天皇はじめ楠木正成、新田義貞ら、自分が滅ぼした南朝の人々の霊を鎮めるために全国、国ごとに建てた安国寺の総本山でした。つまり、一休が「安国寺」入れられたのは、一休に曽祖父である楠木正成をはじめ楠木一門の菩提を弔わせるという意味があったのです。一休は15歳の時、安国寺を出て「地蔵堂」の堂守となります。この「地蔵堂」は「細川頼之」が建てたお堂でした。「細川頼之」「楠木正儀」の線がここにもあったのだと私は考えています。

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