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平成の虚無僧一路の日記

宇治の庵主「朗庵」 の像 

2018年03月09日 外部ブログ記事
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『宇治の庵主朗庵の図』というのがあります。
明らかに異人(中国人)の格好です。リールのついた釣竿を腰につけ、手には長い尺八を持っている。その絵の上に次のようなことが書かれています。「余、東奥行脚の砌(みぎり)、相州巨福路(こぶくろ)建長禅寺に入り逗留した折り、祥啓が「珍しい様相だ」といって、自分の姿を描き写してくれた。そして「思うところを記せ」と勧められたので、次の詩を書いた。 龍頭を切断してより之後 尺八寸中古今に通ず 吹き出だす無常心の一曲 三千里の外知音絶す 文明丁酉秋( 宇治の旧蘆にて 朗庵叟書」「相州巨福路(こぶくろ)建長禅寺」は鎌倉の建長寺。祥啓は、そこの画僧で、文明10年には京都に上り、絵の修行をしています。この絵と賛がその通りならば、大変貴重な史料ですが、神田可遊氏は「この絵は、中国(宋)から伝わった、絵の見本帳を模写したもので、何点か現存している」とし、しかも上段の「賛」は後で切り貼りされているというのです。となると「朗庵」の実在もあやしくなってきます。この詩は『体源抄』(豊原統秋 1515頃)に、「一休の作として載っているのと似ています。『朗庵書』       『体源抄』 龍頭切断而以来    龍頭切断而以来 尺八寸中通古今    尺八寸中通古今 吹出無常心一曲    吹出無常心一曲 三千里外絶知音    三千里外少知音しかし、現存する「日本古典全集刊行会」の翻刻版『体源抄』には、「尺八寸中通古今 吹出無常心一曲」の二句がありません。原本には在るのか、いつ誰が付け足したのか、謎なのです。 そしてまた、狂言の「楽阿弥」に出てくる台詞とも似ているのです。「かの宇治のろうあんじゅ(朗庵主?)の尺八のじょ(偈に同じ)にも両とふ(頭)をせつだんしてより、尺八寸中古今に通ず、吹き起こす無常心の一曲 三千里の外に知音絶す」と。

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