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歴代天皇史(女王卑弥呼は神功皇后?) 

2017年08月01日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



神功豊后と三韓征伐

熊襲征伐中に亡くなられた14代仲哀天皇(神功皇后約70年執政を行う)
 ☆『古事記』の中で、優秀な巫女として描かれている神功皇后
 ☆第14代仲哀天皇の皇后で、三韓征伐を指揮した
 ☆仲哀天皇は福井→和歌山→山口と都を変え、熊襲の謀反で、筑紫の香椎宮に移り拠点とした
 ☆仲哀は神功を巫女にして帰神を行なう
神功皇后は、神の言葉を伝えることが出来る優秀な巫女であった
 ☆神功皇后は、神の言葉「熊襲征伐よりも先に西方の国を攻めるように」という神託を告げた
 ☆仲哀天皇は、神の言葉を信じず、熊襲征伐を続けた
 ☆怒った神は「おまえは天下を治める器にあらず、黄泉国へ向かえ」と、仲哀天皇に告げた
 ☆仲哀天皇軍は戦いに破れ撤退し、仲哀天皇は、筑紫の香椎宮で事切れてしまった
神功皇后の三韓征伐(男勝りの事績も残している)
 ☆驚いた大臣達は、天皇の遺骸を殯宮に移すと、再び皇后を巫女にして神託を求めた
 ☆得られた神託は、前回と同様の神託であった
 ☆更に、神は「この国は神功皇后のお腹にいる御子が治める」と告げた
 ☆神功皇后は、西の国を目指し、筑紫から玄界灘を渡り、朝鮮半島に出兵した
 ☆出兵結果は、戦いに勝利し、朝鮮南部を支配下に置く
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『歴代天皇史(三栄書房)』
 ☆本には、綺麗な絵画が記載されています






神功皇后(『歴代天皇史(三栄書房)』記事、ネットより画像引用)

神功皇后の三韓征伐
神功皇后は出兵に際して、石をお腹に当てさらしを巻いて冷やした
 ☆出産を遅らせる(後の応神天皇は、1年以上も生まれなかった)
神功皇后の軍は、新羅を攻めると、新羅は降伏を申し出てきたて朝貢を約した
 ☆百済と高句麗も朝貢を約してきた
戦いは三韓征伐と呼ばれ、高句麗を除く朝鮮半島南部が日本の支配下に置かれた

神功皇后は、筑紫の字美で御子を出産
この御子が、後に八幡神として祀られ、武家に尊崇される応神天皇
神功皇后が畿内に帰ろうとすると、皇子(応神)の異母兄が反乱を起こした
 ☆神功皇后軍は、大臣らの働きで、無事に反乱を鎮めた
男勝うといえる神功皇后の活躍が、応神天皇にも引き継がれた

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