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平成の虚無僧一路の日記

日本は「奴隷制の国」だった? 

2011年03月26日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



中日新聞 連載中の『親鸞』で、五木寛之は、最近「下人」や
「奴婢」について、こだわって書いている。今後の展開は判ら
ないが、私も関心がある。

古代史で出てくる「魏志倭人伝」の「倭」や「奴国」の「奴」、
「卑弥呼」の「卑」、みな あまり良い意味の字ではない。

「倭」は「やまと」「和」。「日本人は 穏やかで 平和を
愛する国民性と、中国から見られていた」などと いう 説が 
心地よく 唱えられているが、見方を変えれば、これは 
中国から 日本を見下した「蔑称」だ。

「倭」は「人に委(ゆだ)ねる」だから、「従順」と言えば
聞こえはいいが、「人に従う、隷属する」、悪く言えば「奴隷」。
事実、日本から中国への貢物は「生口=奴隷」だった。
日本は「奴隷を献上する国」だったのだ。

107年(後漢永初1)、倭国の王帥升らが、後漢の安帝へ「生口」
160人を献じている(『後漢書』)。
その後、倭王卑弥呼も、239年(魏景初2)に、魏の明帝へ男の
「生口」4人、女の「生口」6人を。さらに 243年(魏正始4)、
魏の少帝へ、その後継者の台与も 248年に「生口」30人を 魏へ
献じている(『魏志倭人伝』)。

「生口」は「捕虜」「奴隷」さらには、中国では この時代、
「食人の風習があったので、そのための食材であった」という
恐ろしい説もある。

五木寛之『親鸞』で書かれているように、古代から中世まで、
いや、つい最近まで、「子盗(と)り、女盗(と)りは 世のならい」
が、闇の世界で 横行していたのだ。日本人は、それに長い間
目をつむってきた。その暗部に、五木寛之は、今触れようと
している。興味深い。

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