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平成の虚無僧一路の日記

「安寿と厨子王」の誕生地は「いわき市」か? 

2011年03月26日 外部ブログ記事
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このたびの「東北大震災」、いや「原発」騒ぎで、福島県の
太平洋側、「浜通り地方」の都市の名が 連日紹介されている。

そのひとつ「いわき市」は、昭和41年、「常磐炭坑節」で
有名な「常磐」と「小名浜」などが 合併してできた時、
「日本一広い市」「ひらかな名の市」として注目を集めた。
同時に「常磐」も「岩城」の漢字名は 忘れられた感がある。

その「いわき市」に「安寿と厨子王 誕生の地」という名所が、
いつのまにやら できているそうな。

「安寿と厨子王」の物語は、元々は 中世の「説教節」で
丹後(現京都府)地方の伝説 『さんせい太夫』。

それを 森 鴎外が 小説『山椒太夫』にし、映画にも
なって広まった。子供の頃、その映画を見た私は、
「人買いにさらわれて、奴婢となる話」に、恐怖心を
煽られたものだ。
当時は、「泣く子は 人さらいが来て、さらわれて
行くよ」と、よく脅されたものだった。


森鴎外の『山椒太夫』では、二人が住んでいた所を
「岩代国」としている。ところがどっこい「岩代国」と
いう国は、明治2年になってできた国なのだ。
平安時代には無かった。平安時代は「陸奥国」一国。
江戸時は「陸奥の国」と「出羽の国」だった。そして、
戊辰戦争直後の明治2年、陸奥国は「岩代国、磐城国、
陸前国、陸中国」の4カ国に分けられた。しかし、
それも わずか3年だけの ことだったのだ。

福島県の西半分が「岩代(いわしろ)国」、東が「岩城
(いわき)の国」である。

さて、「安寿と厨子王」の原点である「説教節」の
『さんせい太夫』では、二人の父を「岩城(いわき)判官」と
している。この「岩城判官」という名から、「いわき市」が
安寿と厨子王の生誕地と 名乗りをあげた。

しかし『説教節』では、「岩城判官」は「奥州50郡を治める
平正氏」とし、伊達の郡(こおり)、信夫(しのぶ)の庄の
住人」というのだから、「安寿と厨子王」の住居は、
「現在の福島市や三春町周辺」となる。福島県の中通り
地方だ。そして、その近辺でも、あちこちに「伝説の地」の
碑が建てられているそうな。

そもそもは、この話は、まったく荒唐無稽な創り話なのだが。

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