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平成の虚無僧一路の日記

義捐金と義援金 

2011年03月25日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



東日本大震災で亡くなられた方の名前が、連日、新聞に掲載される。
そして、中日新聞社に「義援金」を届けられた方の名前が、
これまた、1面どころか、2面、3面にわたって 掲載されており、
その数は日増しに増えている。すばらしいことだ。

一方、名古屋駅前では、相変わらず、若い人たちが、募金活動を
行っている。だが、もうそろそろ、入れる人の数は減ってきている。
公共施設でも コンビにでも レストランでも、至るところに
「募金箱」が 置かれており、もう大方、募金されたことと思われる。
私も なけなしの金を はたいた。

学生が 一日立って、募金を呼びかけるよりは、「一日アルバイトを
して、そのお金を募金した方が、もっと多く募金できるでは ないか」
などと 思ってしまうのは 私だけか?


ところで「ギエンキン」は、昔は「義捐金」と書いた。今は「義援金」。
「援助」するのだから「義援金」の方が判りやすい。「義捐金」では、
「損する」と 読み間違えられ やすいからか。

辞書を引くと、「捐」には「捨てる、捨てさせる」の意味がある。
「喜捨」と同じか。

なお、「義」の字は、「羊」に「我」。「羊」は、優しい動物であり、
古来「生贄(いけにえ)」にされた動物だ。「我」が「他のため、人の
ために 犠牲になる」という意味らしい。未曾有の震災で、人々は
「他のため 人のために 何かできることを」と、「自己犠牲」に
目覚めた。「仏性」を呼び起こしたのだ。良いことだ。

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