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バーチャル旅行5日目(エルサレム1) 

2017年06月06日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



エルサレム(ユダヤ教、キリスト教、イスラーム信者の聖地)

ユダヤ人は嘆きの壁の前で神殿の再建を願って祈り続ける
キリスト教徒は、イエスが十字架を背負つて歩いた道を巡行する
 ☆ゴルゴタの丘へ続くヴィア・ドロローサ(イエスの最後の歩み)
イスラーム寺院では、メッカの方角に向かって祈る人々の姿が見られる
4千年の昔から神の名のもとに、民族の誇りをかけ戦いの舞台となった町
現在でも多くの巡礼者はエルサレムを訪れる
エルサレムを歩くことは、歴史の生き証人と会うことだ
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
記述に誤り不明点あると思います、詳細、出典記事・番組・画像等で確認ください
出典、『地球のありき方(イスラエル)』ダイアモンド社






エルサレム(『地球のありき方(イスラエル)』ダイアモンド社記事、ネットより)

聖墳墓教会
イエスが十字架にかけられ、磔刑に処せられたゴルゴタの丘
 ☆ゴルゴタとはしゃれこうべという意味
人類最初の人間であるアダムの頭蓋骨が埋葬伝えられている場所
教会堂の内部は大きく分けて3つに分けられている
 ☆中央のバシリカ、マルチュリオン(殉教聖堂)、イエスの墓があるアナスタシス(復活聖堂)
 
聖ヘレナ聖堂(地下にはヘレナを称えた聖堂)
最初に教会を建てたのは、ロ一マ皇帯コンスタンティヌスの母ヘレナ
彼女は熱心なキリスト教徒で、ベツレヘムの聖誕教会など多くの教会を建てた
この聖墳墓教会もそのひとつ

イエスの墓
イエスの時代には洞穴だったとされている
現在は大理石の彫刻や美しいビロードの布がろうそくの光に照らし出される

十字架発見の聖堂
ヘレナが4世紀に十字架を発見したとされる場所
ヘレナはこの場所を発掘で、キリストの墓と十字架の破片を見つけた
イエスの十字架
 ☆イエスの十字架の建てられた場所
 ☆祭壇の下の銀の輪がその地点

主の泣かれた教会
イエスはオリーブ山からの帰途エルサレムを眺める
滅亡を予言し涙した、それに基づき建てられた教会
教会のドームは涙の粒をかたどってある
祭壇の後ろにある大きな窓からはエルサレム市街を一望できる

万国民の教会
イエスが最後の夜を、苦悶しつつ祈って過ごしたゲッセマネにある教会
別名苦悶の教会ともいわれる
1919年さまざまな国からの献金で造られた
金により再建され、祭壇の前に、イエスがそこで祈ったという岩の一部が置かれている
入口壁の上方の美しいモザイク
 ☆内部の「苦悶のキリスト」、「ユダの接吻」、「イエスの逮捕」など

ダビデの塔
エルサレム発祥の地といわれるダビデの町に遺跡が広がる
ユダの王、ダビデが先住のエブス人を支配
 ☆オフェルの丘にイスラエルの首都エルサレムを建設
33年間イスラエルとユダの全土を統治した
第1神殿時代の建造物の遺跡が多く残る

ダビデ王の墓
シオン門の近くに、墓石のある部屋がある
石棺はダビデの星が刺繍されたビロード布に覆われている
ダビデの継承者である22人の王を表す
 ☆「かくてダビデはその先祖とともに眠りて、ダビデの町に葬らる」
 ☆「先祖ダビデは死にて葬られ、その墓は今日に至るまで我らのうちにあり」と
聖書にもダビデの墓の存在が明記されている

最後の晩餐の部屋
イエスが処刑の前の晩に弟子たちを集めて最後の晩餐を行った部屋がある
中は殺風景で、ダヴインチの名作に描かれた場所とは似ても似つぬ
手前にある部屋は、イエスが弟子の足を洗った場所とも伝えられている
現在の建物は十字軍が建てたもの
オスマン朝の時代にはイスラーム寺院として使われた
ムスリムにとってもイエスは聖人であり預言者でもある

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