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兵庫県南部の島

今日は自前の講座 

2017年02月18日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

昼から考古学とは名ばかりの、講座を少人数で行いました。
準備したのはプレゼン用のパソコンと投影器。データは発掘した遺物の写真と発掘現場付近のマップ。
それと、製塩土器の焼成のやり方。

考古の学習もいろいろあり、今回は五斗長垣内遺跡と舟木遺跡の状態の写真を主に投影して見てもらいました。

淡路島の中では、古事記の国生み伝説は太古の淡路の人々が考えていた伝説が、河内・大和に伝わって古事記の冒頭の国生み伝説になったと、よく言われているのですが、私は、大阪の難波宮とか宮殿が転々とした上町台地から西を見た時に、太陽が淡路島影に沈んでいくのを見た人たちが、幻の国を想像したのでは、と言う意見ですが、こちらの意見では、淡路の島民の考えが、大和の都に伝わったと言うのが主流です。
今でも「ど田舎」の島ですから、そんな島民だったのが、都の中枢まで入って行かれたかどうか、今度、大阪や奈良大和の博物館に行った時に聞くつもりでいます。

四天王寺の西門から落日を見た時に、大阪湾に浮かぶ島影に太陽の寝る天国があり、・・・、と考えるのがあってもと思っていますが。

明日は、大阪梅田へ出ます。三宮から阪急電車で。



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美しい眺めだったんでしょうね

ひなたさん

聖徳太子の時代、上町台地の西側には海が迫っていたようですね。この一帯「夕陽ヶ丘」の地名は、海に沈む夕日で、茜色に染まる空の美しさから、そう呼ばれるようになったと聞いております。この辺りからも淡路島が見えたのでしょうか? 
奈良と大阪の境、二上山の山頂からも、淡路島が見える日があります。先人はどんな思いでこの景色を眺めたのでしょうね(^^)

2017/02/19 15:39:22

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