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幸せとは何ですか 

2011年02月21日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



 

 

 

 

 

 

 
今日も一つ、得意の転載技を使うことにした。
「人生の歩みは、自分自身の心から始まり、自分自身の心で終わる」という。
ここに来て、偉大なる自然の美しさの中で生活しながら、その様子を伝えている。
その生活の中で、本や新聞などを読むうちに、これはいい、こんな事もあったのか、また、これはすばらしい考えだ、と感心させられるものに出会うことがある。
そういう記事やエピソードなどは、誰でも人に話し伝えたくなるものではないだろうか。
これは素晴らしい考えだと、自分で勝手に思っている。そして、どんなにすばらしい考えであっても、行動に移さなければそこで止まってしまう。行動に移すごく平凡な考えは、実行されずにしおれてしまう天才のひらめきよりも、はるかに価値がある。
 
2010年11月、「第11回ノーベル平和賞受賞者世界サミット」で広島を訪れた、ダライ・ラマ14世が家庭画報のインタビューで語った記事が目についた。
以下、家庭画報2月号でダライ・ラマ14世が語った記事の一部を転載する。
 
幸福とは何ですか
 
幸福には体と心、二つのレベルがあり、より大切なのが心の幸せ、すなわち心の満足です。体と心の満足は必ずしも一致しません。ときとして、肉体的な苦痛を伴う経験が心に深い満足感をもたらすこともあります。たとえば、私から見ると、相撲の力士はたいへん大きくて、体は楽ではないはずです。しかし、その体が力士としての満足感をもたらしているわけです。また、世俗を離れ、修道生活を送る人は、粗末な暮らしをしていても、精神的には非常に幸せなものですが、それは意味のある人生を送っているという満足感があるからです。
 
私は、人生は希望の上に成り立っていると考えています。未来を考えるとき、来年、来世紀が明るいものである保証はどこにもありません。しかし、よい年になってほしいという希望があるから、私たちはみな生きていけるのです。希望は私たちの心を幸せにするだけでなく、体の免疫力を高め、長寿をもたらすと思います。一方で、絶望は人の免疫力を低下させ、寿命を縮めてしまったり、自殺に追いやることさえあるでしょう。
 
では、あなたのそばに、希望を見いだせずに苦しむ人がいたら、どうすればよいでしょうか。肉体的な苦痛は分かち合うことが出来ません。しかし、心の痛みを自分のもののように受け止め、分かち合うことはできます。人の心の痛みに自分の心を砕くのは辛いものです。人の痛みに構わずにいれば、重い気持ちになることもなく、心の平和を乱されることもないでしょう。しかし、自ら進んで人の痛みを受け止められると言うことは、あなたが精神的な強さを備えた人間であることの証なのです。ですから他者の心の痛みを受け止めるとき、私たちは、心が重く沈むのと同時に、自分の内なる力がみなぎるのを感じることができるのです。ゆえに、心の痛みの感じ方は、自分自身と他者の場合では、まったく違ったものとなります。思いやりで人の痛みを消し去ることはできません。しかし、小さな慰めをもたらすことはできるはずです。悲しんでいる人の手を取って、そっとなでる。それだけでも、相手の顔にささやかな安堵の色が浮かぶのを認めることができるでしょう。
 
ある科学者が、同じ傷を負ったモルモットを、一方は一匹で、他方はつがいでケージに入れて観察したところ、つがいのほうが傷の治癒が格段に早いという結果がでました。つがいでケージに入れられていたモルモットは、傷をもう一方になめられていたのですが、なめることによる効果より、その行為に込められたモルモットの思いやりの気持ちが治癒を早めたと考えられるのだそうです。小さなモルモットでさえそうなのですから、人間であれば、このような効果はさらに高いことでしょう。
 
幸福とは、心が満たされることです。
あなたが笑えば、私も嬉しい。それは人間の本質です。
 

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