時期尚早

命日が休みなんて誰が決めたのだろうか 

2016年10月11日 外部ブログ記事
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命日は休むもの?
恐らく私が世間知らずなのかもしれません。電通の過労死問題により再度ピックアップされるブラックな労働環境。下記の記事では、父の命日だから早めに帰ろうと思っていた所、同僚に止められたという、女性の教師のお話が掲載されています。
「もう死んでいるんだし、仕事が優先だ!」 父親の命日に残業させられる教師の嘆きに反響続々 | キャリコネニュース
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この記事を読んだ時、私は完全に同僚側の考えだったので、何故、この女性が悲しむのかが理解できませんでした。そもそも同僚の方は変なこと言ってますか?「もう死んでいるんだし」という言葉が答えだと思います。何故か同情されるような言葉が続き、更には、いじめがなくならないわけだと物凄いとんちんかんな回答も寄せられています。命日は休む必要ありますか?


命日 休み
記事を読んで、私は女性側に対して一ミリも共感しなかった為、きっと世間とは遠い場所にいるのかもと感じました。しかし、基本的にずっと批判的なスタンスでいることも好きではないので、「命日 休み」で検索することにしました。法事ということで、一回忌等の年忌法要の時には、休みを取ることが一般的なのかもしれません。しかし、命日だから休むというのは、結局どうなんでしょうか。良い答えが見つからず。Yahoo知恵袋等にも投稿されていますが、疑問に思われている方が多いのではないでしょうか。
命日を休もうとする人達について
恐らく、家族から大きな愛情を受けて育った心優しい人なのだろうなと思ってしまいます。虐待やら、離婚やら、特に大きな家族問題に遭遇することもなく、ただただ家族の大切さを知っている方々なのではないでしょうか。私のように、家族なんて赤の他人だよと強烈な程ドライに思える人間とは程遠い場所にいる人達で、それでいて、私自身そうなれるならそうなりたかったなと思える羨ましい存在の人達なのかもしれません。もしかしたら、「もう死んでいるんだし」と発言した同僚も、そういった家族愛とは程遠い場所にいる人なのかもしれません。記事の中の女性教師の「やっと帰宅できたけど、もう悲しすぎて」という気持ち。甘えるなと物凄い批判したくなる反面、そんな純粋に家族を想うことが出来る優しさがなんだか素敵にも思えます。私は、このように、家族に甘えるなと思う人間ではあるものの、好きな女性のタイプは、家族の為に泣くことが出来るような、そんな優しい人だなと最近気づきました。
(実際に、自分の母親の話をしながら涙を流していた女性にきゅんとしてしまいました。女性の皆さん、こういう技は悪用しないでください。本当にずるいです。)正に、こういう所で好きと嫌いは紙一重ということを思い知らされます。
批判に始まり、批判で締めたかった記事なのですが、家族想いの優しい人なんだろうなと考え始めると、こんなどっちつかずの批判しきれない記事になってしまいました。猛省します。




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