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心の軌跡

失ったものと得たもの・・・皮肉な話 

2016年10月11日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



母が新しい施設,グループホームに入所して6日目の昨日

母の所に行った。


数日間会わなかったことで

ホームの人になじんでいるかな・・・

少し穏やかな表情になっているかな・・・と

ちょっと期待し

でも内心はどきどきしながら

ベッドに横になっていた母に

声かけをした。


「おはよう。」と笑いかけると

返ってきた表情は

異常なものだった。


「なんでこんな所に置いとくんな。夜は一人しか(ホームの人が)おらん。これやったらまだ前の所がましや。」


あれだけ1時間だっていたくないと言っていた前の施設がましだなんて・・・(ー。ー)


それからはすごい形相で

私に対して暴言を吐きまくり

もうその場におれずに部屋を出ようとすると

大声で

「なんで行くんなぁ。」と

泣き叫んだ。


たまたま夫も一緒に行っていたので

代わりに夫が話を聞き

しばらくはわぁわぁ叫んでいたけど

やがて声はしなくなった。


ホームの人に聞くと

薬は「毒や。」と言って飲まないそうだ。

あれだけ「死にたい,殺してくれ。」とまで言ってたのに

「毒」と言って薬を飲まなかったり

「夜一人しかおらんかったら病気になった時どうするんな?」と

自分が病気になった時のことを心配したり・・・

結局

本音は「生きたい」ということなんだと思う。

自分の家で

父親や私を振り回して

好き勝手して生きたいということなんだろう。


(病気なんやから私の願い通りしてくれて当たり前)と

思っていることだろう。

そうしない私は

母にとって

もう親不孝者以外何者でもないのだろう。


そういう話を

デイサービスから帰って来た父に話すと

父は

「(母は)病気で言っとることなんやから恨みに思ったらいかんで。」と

穏やかな表情で

私に言った。

「そうやねぇ。病気が言わせてることやもんね。」と

私も父に言うと

父は静かに頷いた。


こんな風に父と穏やかに話をする日が来るとは・・・


母が元気な頃には

想像もつかなかった。


もしも今でも母がなんとか歩ける状態で

家に父と母がいたなら

父は

今のような穏やかな父ではなかっただろうと

思う。


母がこうなったことで

失ったものは

たくさんあるが

皮肉にも

得たものもあったということか・・・


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