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たかが一人、されど一人

言葉遣い 

2016年08月16日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

事務所を9月いっぱいで閉鎖する準備に入った。序にこのブログもそろそろ閉鎖することになりそうだ。mixiで日記を書き始めてからもう10年を超えてしまった。家内から何度やめなさいと言われたことか、潮時はとっくに超えている。あと1か月かそこらイタチの最後っ屁のようないたずらを続けたい。ところで、いつも生噛りな小難しい言葉を好んで使うが、幼稚園や小学低学年の子供たちが新しい言葉を覚えたとき、意味も無く使いまくるのと同じことである。大人になれば自身が消化しきった分かり易い表現をするのが当たり前で、作文を発表しようとする人間には、その心構えが無いだけで落第であることは分かっているのだ。いつものように己のことは脇に置く。昨日の終戦の日に当たって日本武道館で執り行われた「全国戦没者追悼式」での天皇陛下の「お言葉」と総理大臣の「式辞」を比べて読むと、学問を積んだ人とそうでない人の差が見事なまでに分かって興味深い。陛下のお言葉は、恐らく小学校の中学年以上の子であれば直接聞いても読んでも、親や先生の解説無しに理解できるのではなかろうか。一方の総理大臣「式辞」は後期高齢者の小生が読むのに苦労するうえ、何を言わんとしているのか理解不能とも言える。義務教育なり高校レベルの国語の先生がこの作文を採点すれば、相当低い点になりそうだ。「追悼」と言う言葉も少し難しいが、ネットで辞書を引いたら<死者の生前をしのび、その死を悲しむこと。>とあった。「反省」があるとかないとかについては、反省しないことを売りにしている人だから一先ず置こう。もっと基本的なことで幾つか感想を言おう。先ずお作法の問題、戦争犠牲者の死を悼む場所で、己が平和のために頑張っていると胸を張ってどうするのか?場所柄を弁えずとはこういうこと指すのだろう。次に言葉遣いのご粗末さは先に述べたが、「戦場に斃れられた御霊、戦禍に遭われ、あるいは戦後、はるかな異郷に亡くなられた御霊」この一文。正に悪文の代表とも言える。陛下の「さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、」と比べると歴然である。総理は祝詞を真似た心算で書いただけだろう。総理のお友達も好んで使う「御霊」と「哀悼の誠」であるが、これほど白々しく聞こえるものは無い。おまけに「戦場に斃れられた」だと!故なく殺されて無念の思いの戦没者に失礼だろう。比べるのも恐れ多いが、神主の総元締である陛下のお言葉のなんと分かり易いことよ。

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