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かをるのワルツ

黄門さんの実兄、頼重公の菩提寺(法然寺) 

2016年07月16日 外部ブログ記事
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旧高松藩、松平家菩提寺の「法然寺」に行った。


讃岐に流された法然上人が住んでいたという満濃町にあった生福寺を高松に移し

ここを初代藩主の松平?重公が復興して代々の菩提寺とする。

まず、仁王門が迎えてくれた。











かなり大きな仁王様











初代藩主の松平頼重公は、徳川家康の孫で水戸光圀の実兄であることは

讃岐人ならよく知っていること

光圀の兄なのになぜ、水戸家を継がなかったのか?

という話も伝えられている。


頼重公は、あの黄門さんのお兄さんだけあって

香川県の至る所で、その偉業が目につく。

讃岐香川が頼重公によって発展し、それが今でも脈々と続いている。

時代を先取りした政治で、豊かな讃岐の基盤を作った立派なお殿様だったようだ。


まず、水がない讃岐平野に多くのため池を築いた。

高松城下街を整備して、日本初の上下水道を敷く。

文化面では理平焼、保多織、茶の湯「官休庵」を創始するなど

?松の歴史は頼重公なくしては語れない。



そんな頼重公が眠っているお墓のある般若台まで行く。

灯篭が立ち並ぶ中を進む。










かなりきつそうな石段

あれを登るの〜〜?

ちょっと、戸惑ったが、折角の機会だからとがんばって登った。

この石段は、江戸時代のままなのかな?

同じ石段を踏むと言うのも何だかロマンを感じる。

















途中の来迎堂に着く










中をのぞいてみると、真っ暗いお堂の中に阿弥陀如来が鎮座していた。









振り向くとこの通り、広い境内に五重塔が見える。

五重塔は5年前に建てられたもの。

五重塔建立が頼重公の夢だったらしい。

300年以上も経て夢が実現されたと聞く。
















再び石段を登ると、やがて般若台が見えてきた。

ここに歴代の藩主とその夫人、縁者が眠っている。


そして、頼重公は、松平家の墓所以外であれば

身分にかかわらず、希望する者はこの山に墓をつくることを許した。

この時代には珍しいことかもしれない。


般若台の下には、藩主たちに守られるように沢山の庶民の墓が建てられていた。

























法然寺の本堂

法然寺と言えば、涅槃像で有名

今回はパスしたがダンナさんは一度、拝謁したいとのこと











法然寺は藩主の菩提寺だけあってかなり広い











300年以上前の讃岐のお殿様がちょっと身近に感じた時だった。

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