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大大名たちが陣取る武家地(本郷・小石川) 

2016年06月06日 外部ブログ記事
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本郷・小石川は、親藩と幕臣か暮らした幕府ゆかりの寺社の集う地

10万坪を誇る加賀百万石の御屋敷
ハイカラな水戸藩上屋敷
江戸幕府ゆかりの寺院、麟祥院、伝通院
歴史REAL「大江戸八百八町」記事参考&引用














本郷・小石川(ネットより引用)

親藩と幕府ゆかりの寺社の集う地
江戸時代「本郷もかねやすまでは江戸の内」と詠まれた本郷
府内の境界地域に、加賀藩や水戸藩の屋敷が広大な敷地を占める閑静な高級武家地だった
現在も地名に残る本郷追分は、中山道と日光御成道との分岐点である証です
江戸払いの罪人は、縁者との別れを僣しんだことから「見返り坂」「見送り坂」とも呼ばれていた
小石川界隈にも幕府ゆかりの地は多く、幕府が管理した小石川御薬園は、小石川植物園として受け継がれた
小石川御薬園は、飢饉時の非常食として、さつま芋の栽培なども研究された
伝通院は、幕府から外護を受け、千人もの学僧が修行するほどで、江戸時代を通して徳川家との関係を築いた。
伝通院で幕末には、新選組近藤勇や土方歳三らが浪士組として集合した地、又彰義隊結成の会議も聞かれた

10万坪を誇る加賀百万石の御屋敷
加賀百万石の加賀前田家上屋敷、現在の東大の本郷キャンパス
東京ドーム7個分以上あった広大な敷地
当時の庭にあった心字池は、現在は三四郎池の名で残ります
赤門は、11代将軍家斉の娘が輿入れに際して建造されました

水戸藩上屋敷
家康の11男を藩祖とする水戸藩は、将軍を補佐をする為、参勤交代をしない江戸定府でした
水戸光圀のハイカラな暮らしぶり、庭園を最先端の設計、造成したので有名でした

麟祥院
3代将軍家光の乳母から、大奥の創設者となった春日局ゆかりの寺
麟祥院には、春日局のお墓があり、将軍家ゆかりの寺院です
春日局は、家光の将軍継承を家康に直訴するなど、家光に献身的な愛情で接し続けたこと知られる

伝通院
家康の生母の菩提寺で、徳川家の外護を受けた
増上寺、寛永寺と並んで江戸の三大霊山とされた

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