メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

平成の虚無僧一路の日記

松尾芭蕉は、なぜ「芭蕉」を俳号にしたのか 

2011年01月28日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



松尾芭蕉は、なぜ「芭蕉」なのだろう?
調べてみたが、俳号の由来は不明だった。

では「芭蕉」にはどういう意味があるのか?
そもそも「バショウ」は、バナナと同じ「バショウ科」の植物。
大きな葉を持ち、花や果実はバナナとよく似ているが、実(み)は
食用に適さない。中国原産だが、英名を「ジャパニーズ・バナナ」
と言うから、日本の植物として固有のものらしい。琉球諸島では、
葉鞘の繊維で「芭蕉布」を織り、衣服に利用していた。

伊藤若冲の絵も有名だが、日本的情景には馴染まない植物だ。

能の「芭蕉」は世阿弥の娘婿、金春善竹の作。善竹は一休の
もとに参禅し、その影響を強く受けていた。しかし、一休は
禅宗だが、能楽師は浄土宗、時宗である。観阿弥、世阿弥は、
「阿弥陀信仰」の阿弥号なのだ。

能「芭蕉」の内容は、「芭蕉」という植物の精が現れ、人間
同様、植物でも「成仏」したいと願い出るというもの。
「万物悉皆有仏性」。人や動物だけでなく、植物にも石にも
もの皆仏性を有するという「法華経」の思想を説いたものだ。

こうした植物の精が登場する能は他に、梅、藤、桜(西行桜)、
柳(遊行柳)。この四つは、いかにも日本的な風景に合う
植物だが、芭蕉だけは異質だ。

中国では「芭蕉の精が人間に化けて出る」という怪異譚が
あるそうな。(中国の『湖海新聞夷堅続志』)

今川義元は、駿府を発つ際、謡曲「芭蕉」の一節を口ずさみ
出陣し、桶狭間で非業の最期を遂げた。

それから数十年後、駿府は徳川二代将軍秀忠の三男忠長の
所領となった。忠長は兄家光と折り合いが悪く、自死に
追い込まれる。駿府から甲府への改易の知らせが来た時、
忠長は駿府城で「芭蕉」の能を催していたという。

というわけで「芭蕉」は縁起が悪い植物ともされた。

「芭蕉」は、ひときわ大きい葉が人影にも見え、精霊や
妖怪のイメージと結びつけられていた感がある。その
大きな葉の影に隠れるという意味で「隠密」の意味も
含まれていたようだ。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

 「60代の日記」ランキングです。クリックお願いします

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR





掲載されている画像

    もっと見る

上部へ