メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

平成の虚無僧一路の日記

NHK 豊川・信長の真意 

2011年01月23日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



NHK大河ドラマ『江』第3回「織田信長の秘密」。
1579年安土城ができた年、家康は正室築山御前と
長男信康を殺した事件。その真相は不明だ。それを
どう描くのか興味があった。

監修・時代考証が「大和田哲男」氏だけにソツがない。

「築山殿事件」は、通説では、信康の正室・徳姫が父・
信長に送った「12か条の書状」が発端といわれているが、
これは、大久保彦左衛門の『三河物語』に書かれている
もので、最近「大久保は家康の処断を正当化するために、
あえて作文したのではないか」という説が浮上してきている。

むしろ、家康の方から元康の処断を、元康の義父(嫁の父)で
ある信長に相談してきたので、信長としては「家康の意の
ままにどうぞ」と答えたのみで、「築山殿の殺害」などは
命じていないという。

つまり、家康と元康との不仲。元康に従う岡崎衆との
対立があり、この一掃を図ったというのだ。そこで
さらに思い当たるのが、家康の替え玉説。織田信長に
云われたぐらいで、家康が すんなりと正室の築山殿と
長男の元康まで殺すのは、どうみても不自然である。

NHK『江』でも、それを匂わせていた。「理不尽な
申し出に反対なら、どうにかするものである」と、豊川・
信長が言う。そうなのだ。替え玉の家康にしてみれば、
本物家康の正室とその子と、その家臣が邪魔であり、
始末したかったのだ。

豊川・信長は「見えないものが見え、人が聞けない声を
聞こえている」と石坂・利休が言う。いいね。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR





掲載されている画像

    もっと見る

上部へ