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天皇と神社(8)(石上神宮と大神神社) 

2016年04月12日 外部ブログ記事
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石上神宮と三輪山

石上神宮(ISONOKAMI)には、「国譲り」の神剣が有ります
古代大和王朝の存在を証明する史料が、石上神宮にあります
大和朝廷の守り神の三輪山に『出雲の神』が、何故祭られているか?
初心者にもわかる『天皇と神社』平成26年版参考&引用














石上神宮と三輪山(『天皇と神社』&ネットより引用)

石上神宮には、「国譲り」の神剣が有ります
大和朝廷の武器庫があり、それを護っていたのが、物部氏でした
石上神宮の御神体は、神剣、記紀神話にある「国譲り」の際用いたものです
神武天皇が、東征の折に、天津神から授けられた霊剣です

宇摩志麻治命(物部氏の遠祖)は、天津神の御印十種神宝を宮中で奉祀しました
石上神宮付近に大和朝廷の武器庫があり、それを護っていたのが、物部氏でした
十種神宝を用いて、神武天皇の長寿を祈念したのが、石上神宮の「鎮魂祭」の始まりです
宮中で奉祀されていた神剣が、現在地に遷されたのは、崇神天皇の時代です

石上神宮の他の神剣「七支刀」は、大和王朝の存在を証明しています
武器庫であり神祭りの場であった石上神宮には、もうひとつの剣が伝わっています
銘文から、正式には「七支刀(SHISITOU)」と称される国宝の剣です
神功皇后摂政時、百済から倭(日本)に「七枝刀」が献上されました(中国王朝東普の頃作)
高句麗の圧迫を受けていた百済が、倭に同盟を求めていた時代です

大神神社が何故三輪山麓にあるの?
古代の人々が、神が宿る山として崇敬の対象とした三輪山
大和朝廷の守り神の三輪山に『大物主神』が祭られているか?
大国主神といえば出雲の神
三輪山より少し東には出雲と呼ばれる集落があります(出雲の人々が移り住んだ地)
古代大和朝廷は三輪山の沿道には、大和朝廷を支えた有力氏族の拠点が置かれていた
大神神社の大神氏、大和神社の倭直氏、石上神宮の物部氏

歴史学者の村井氏の指摘
古代大和朝廷の樹立以前に、既に出雲族が大和に入っていたという査証ではないか?
大和朝廷側と出雲族の戦いで、出雲族が敗れた事を伝るのが、記紀の「国譲り」神話でないか
大和には、邪馬台国かあり、出雲族と邪馬台国の連合軍が神武天皇を迎え撃つ?
出雲族に勝利した神武天皇は、大和朝廷を樹立する際、出雲族を無下には扱わなかった
物部氏の持つ呪を扱う秘儀などは、その後も重用した
三輪山の大物主神は、出雲族の祭祀の象徴そのものです
出雲族の大和朝廷復命に伴い、それは大和朝廷の守り神とした
大和朝廷はこの出雲の神を丁重に祀ることで、国の安泰を保証された
崇神天皇の御代に、飢饉が起きて国が荒れた際にも、三輪の神の神託を受け入れている

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