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天皇と神社(6)筥崎八幡宮 

2016年04月11日 外部ブログ記事
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天皇は国の行く末をなぜ八幡神に託したのか?

鎌倉時代、大国元が、海を渡って攻めてきて、日本を震憾させた
朝廷は、八幡大神を対外防衛の最前線に配置した
神功皇后は、自ら兵を率いて新羅に遠征した女傑
初心者にもわかる『天皇と神社』平成26年版参考&引用










筥崎八幡宮(『天皇と神社』の記事、ネットより引用)

筥崎八幡宮(HAKOZAKI)とは
八幡大神で、筑前の大分宮に祀られていた八幡大神を、この地に遷したことに始まる
1、2回目の『来寇』の際、八幡大神に日本軍の守護を託した
元軍の襲撃で、筥崎宮の社殿は炎上したが、「神風」が吹き、元軍は逃げ帰った
『来寇』撃退の報を受けた朝廷は、16社に奉幣を行なって降伏成就を感謝した
亀山上皇は焼失した筥崎宮の再建を命じ「敵国降伏」の宸筆を下賜
現在、同宮の楼門に掲げられた扁額(HENGAKU)は、この宸筆を書写したものです

八幡大神を対外防衛の最前線に配置したのか?
八幡大神の比売犬神(天照大御神)に仮託した信仰ではない
筥崎宮の八幡大神の中に、比売大神いません
応神天皇、神功皇后という母子神に託しました

神功皇后は自ら兵を率いて新羅に遠征した女傑
新羅を制圧して筑紫に凱旋した皇后は、応神天皇を出産
武力で異国を成敗した皇后と、皇后の腹の中で戦を経験した応神天皇に武威の霊験を求めた
元・高麗軍に脅かされた日本が、この母子神の加護を求めたのも、至極自然です

1、2回目の『来寇』
元は、日本に軍兵の徴発や軍船の建造を要求したが、日本は拒否
元と高麗の連合軍と争ったのは、鎌倉幕府執権北条時宗を長とする武士でした
天皇や上皇は、合戦の勝利を祈願する祈祷を行った
1回目の元寇で、元軍は壱岐対馬を制圧し、福岡まで到達した
2度目も神風が吹き、『来寇』を撃退

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