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平成の虚無僧一路の日記

仏も殺す一休さん 

2011年01月20日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



昨今、葬式に僧侶を呼ばないなど、仏教離れが著しいが、
その反面、仏教系の新興宗教や団体、座禅などへの関心は
高まっている。その二極並存は、すでに江戸時代でも同じ
だった。

江戸庶民も、仏教が 根強く生活に 浸透している反面、
葬式仏教になりさがり、宗派の対立抗争を続ける寺や僧侶に
対して幻滅し、冷ややかでもあった。そんな思いを、一休に
託して赤裸々に表現したのが『一休道歌』であると、私は
考えている。

「みな人に 捨てよ捨てよと勧めつつ 後で拾うは 寺の上人」
奈良、平安の昔から、今も、寺は 蓄財の場であった。
現今「葬式費用」は270万円で「世界一」。

「木の阿弥陀 金の弥勒に 石地蔵 尊み拝む人ぞ 可笑しき」
『一休話』には、一休が「関の地蔵」の開眼供養を頼まれ、
お地蔵さまにションベンをかけて立ち去った話まで載っている。
もちろん事実ではない。江戸時代の人が、仏像をどう見ていた
かの表れだ。

「嘘をつき 地獄に落つるものならば 無きこと作る釈迦いかがせん」
「嘘ついたら閻魔さまに舌を抜かれる」というなら、お釈迦様だって
地獄、極楽など、有りもしないことを言ってる大嘘つきで、地獄に
落ちると茶化しているのだ。

「釈迦という いたずら者が 世に出でて 多くのものを 迷わするかな」
日蓮宗では「法華経」こそが唯一真の仏典で、その他の経は、釈迦が
「方便」で説いたもの(嘘も方便)という。そこから、各宗派の対立
抗争が生まれている。

こんな「一休道歌」が 世に出回ったおかげで、こんな狂歌もできた。

「一休の 釈迦をそしりた おかげにて 多くの人が うろたえぞする」


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

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