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平成の虚無僧一路の日記

今、宗教の復活  

2011年01月19日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



私は、子供の頃、小学校の教師から「仏教では、因果応報。
身体障害者を見ると、親の因果とか、前世の因果、先祖の因果で
ああなったなどと云う。これは 怪しからんことだ」と 教えられた。
戦後、日本の封建的もの因習がすべて否定された時代だった。

文部省選定映画『福沢諭吉』では、諭吉が子供の頃、祠(ほこら)の
中の石を、路傍の石と取り替えても罰があたらなかったという
シーンが強烈に印象に残った。

こうして、学校教育の現場で、神仏への畏敬の念をこき下ろす
指導がされた。

東京では、ほとんどの家で、神棚も仏壇もない。なまじ有ると
気色悪かった。一方戦後まもなく、新興宗教が雨後の筍のごとく
芽生えたが、中にはいかがわしいものも多く、「まこと教団
(現真如苑)」の教祖も投獄されるという事件があり、マスコミは
徹底的に「新興宗教はいかがわしい」という洗脳を行った。

しかし名古屋に来て驚いたのは、どこの家庭にも立派な仏壇がある。
毎月一度は「おっす様」と呼ばれる檀那寺の僧侶が来てお経を唱えてく。
月に2度は、氏神様や檀那寺にお参りに行く。毎朝行く人も少なくない。
そして今、なぜか宗教ブームである。ロシア正教が一世紀に及ぶ
ソビエト連邦統治下の壊滅的弾圧にもかかわらず、復活してきたのと
同じ。宗教に救いを求める人、宗教を生きる糧とする人が多いと
いうことだ。

かくいう私も毎朝、仏壇の水を取り替え、手を合わせてから家を出、
那古野神社でラジオ体操の後、皆で参拝している。この時、何人かの
人が「みそぎの誓い」を諳んじて唱えることにも驚かされた。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

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