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都わすれの「「ベガルタ応援日記」

あれから5年・・ありがとう〜! 

2016年03月11日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

地震から落ち着くまでは、今朝書いた通りです その後携帯が繋がらなくなり、娘とも全く連絡が取れなかったが、娘から息子・・嫁さんへで娘の無事は確認できた みんながauだったが街中に勤めている、息子には連絡がついた様子 「ありがとう」ってタイトルにしたのは、本当に多くの方々からご心配をいただいたから・・何日目だったでしょう・・携帯が繋がったら、電話やメールが数えきれないほどだったが、何しろ携帯の充電ができないのです それでも息子が持っていた車用の、充電器を借りようと思っても誰もが充電したいし・・やっと繋がったところで兎に角「私は元気です」だけの、ブログを更新したのだったと思う とても皆さんそれぞれにメールや電話でなど出来なかったから・・毎年220枚位年賀はがきを買い(喪中はがきが20枚くらい)、他に絵手紙年賀状も出しているから250枚くらいでしょうか・・私たちはテレビが見られず「今どのような状態」なのか、全く分からなかったが仙台市内では「若林区」に大きな被害がってことだったようで、私の住所を知っている方ががすごく心配してくださった 勿論ラジオはいつも聞こえないから聞いてないし、4日目の朝に電気が通るまで「陸の孤島」の感じでした 地震がおさまった夕方元の我が家に行ってみると言ったら、嫁さんに頼むから行かないでって言われたが4時半過ぎでしょうか、行ったら道路の半分は陥没していた(下水工事をやった跡) 家の中も車庫の中も勿論足の踏み場もなかったし、車庫のシャッターは外れてブラブラしていた そこに通りかかったお姉ちゃんに、「そこまで水が来ていますよ」って教えられて慌てて帰ってきたが、あの辺りは避難指示が出たようだったが夕食もなかったらしい 住んでいた我が家はまだ新築6年目で、「ツーパイフォー」って言うのかな自宅への被害は殆どなかった 食器戸棚は70〜80cm移動したり、自室書棚は両開きだったから本は全部落ちちゃたり、仏壇の中のものもすべて(神棚も)しかし親類縁者で犠牲者だけはなかったが、夫の実家は海のそばで後日行った時は土台も半分なかった 元の我が家は最終的に「床下浸水・大規模半壊」で、翌年4月に無償解体して貰った 結果的に「被災者」と言っても私の場合は、住む家はあり・・電気が通ると元の生活に戻れたが、しばらくガソリンが買えずに歩きましたねぇ 今日は元も我が家に行く前に夫の実家があったところまで行って来ました 震災後の写真は借りたPCで何も今はないのですが・・前回行った時はまだ土台など残っていましたが、今日はすっかり更地になっていました 夫の実家の前には「五柱神社」って立派な神社があったが、勿論あの町内は1軒の家も残っていませんでしたし、今後は海浜公園として整備されるようです 小さいながらも「五柱神社」が建てられてました       元は松林で海が見えませんでしたが、間に「貞山堀」という運河があり波打ち際までは行けません       今日写した写真と「五柱神社」では泣きながらお参りしてきましたが、帰りの車の中でも・・      その後については時間がある時に、少しずつ書きたいと思いますが私の日常も大きく変わりましたね 我が家は幸いなことに震災後も、大きく変わったことななかった。 あらためて多くの皆さんに心からお礼を申し上げるとともに、犠牲になられた多くの方のご冥福をお祈りいたします〜! ブログ村に参加中ですのでが、最近低迷しています。よろしくお願い致します〜! いつも応援ありがとうございます

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