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都わすれの「「ベガルタ応援日記」

色々あるが一番は震災だよねぇ 

2016年02月01日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

ブログネタ:怖い体験したことある? 参加中本文はここから私は震災で二度家を失っているから、何と言っても一番怖い思いは「地震」です 被害は広範囲であの未曽有の大震災が大きかったが、私としては昭和53年6月12日の宮城県沖地震が一番怖かった まだ車の免許を持たずバイクに乗っていて、帰宅したら電線が大きく揺れていたがその時点では「地震」とは思わなかったが、止めようと思ったバイクは倒れて玄関の二枚戸(引き戸)は、スローモーションのように一枚ずつ外れて倒れたが、その間その場に立ち尽くしていた 慌てて玄関に入って「大丈夫・・?」って声を掛けたら、子供たち二人が泣きながら飛び出して来た 家の中に入ったら倒れてないものはなかった 子供たちは掘りごたつの下に潜り、その上に茶箪笥が倒れて反対側からはテレビが・・だった いつもは茶箪笥の前に座っている母が、ふすまの前に座っていて難をのがれたが、二階建ての家の通し柱が折れて家も傾いていた お隣は古い家ながら昔の家で柱も太く、大丈夫でその夜は娘さんの二段ベッドに娘と寝た記憶があるが、両親と息子も勿論一緒に・・翌日朝一番に空いていた貸家を借りに行き、その日のうちに引っ越しを済ませたが・・あの大震災の前に確か「岩手内陸地震」と言ったと思うが、今・・息子夫婦と住む二世帯住宅だったが仏壇の花瓶が落ちて(70〜80?ある)、仏様の前がドロドロで大変だったからあの大震災の時は、たまたま一人で家にいたが仏様の花瓶を押さえていたが立っていられず、地震がおさまったら花瓶2本抱いて敷居に座っていた(自室との境の)まだ我が家は新しい・・我が家がダメな時はと、開き直っていて宮城県沖地震時より怖さはなかった 家は地震などに強い「ツーバイフォー」だったから、家は殆ど被害がなかったから宮城県沖地震の時より怖さは小さかったと思う 新しい家に引っ越しし6年が過ぎたばかりだったが、宮城県沖地震で家を失って私の細腕で建てた家は、そのままいつでも住める状態でガスも水道も電気も止めてなかったが、電気温水器は倒れ最終的には床下浸水大規模半壊で、二度と住むことは出来ずに解体するしかなかった 家の裏の道路は半分陥没し車はやっと通れる状態 子供の頃馬車にひかれたり、羊に乗っかって遊んでいて顎のところに大ケガをしたりもしたし、他にも色々あったが・・あの大震災の時は津波の怖さなど、電気が止まったし新聞は届かないし、4日後に電気が点くまでは全く何も知らないでいたからね  ブログランキングに参加中ですのでが、最近低迷しています。よろしくお願い致します〜! いつも応援ありがとうございます

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