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たかが一人、されど一人

身辺整理 

2015年12月10日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

最近テレビで聞く耳慣れない言葉に「しゅうかつ」がある。就職活動ではなくて「終活」と書くとのこと。パソコンの変換には出てこないが、ウィキペディアにはちゃんとある。<「人生の終わりのための活動」の略であり、人間が人生の最期を迎えるにあたって行うべきことを総括したことを意味する言葉。>と書いてある。人生の終りを考えねばならぬ年頃なので、家ではしょっちゅう死に際の段取りを話す機会が多くなっているし、今年は喪中はがきが一段と増えているような感じもある。また、最近機会が少なくなってしまったが、たまに古い友人と会っても、話題がどうしても病気自慢とか親の介護など暗く不景気な話からそっちへ向かうことも多い。先日も親しい友人と食事をした時もそうだった。彼は何事にも手際が良いので遺言状も制作済みで、墓の手当てをし始めているらしい。小生も子供時代から掃除の手伝いをかなりさせられたせいか、どちらかと言えば身辺が整理された居ないと落ち着かない性格である。従って彼に倣ってみるのも一つかとも思のだが、遺言て何を書けばいいのだろうと考えてしまう。たまたま昨日だったか、夕飯時にテレビで遺言状作成を薦めていた。そこで婆さんに「俺にはこの家以外何も財産らしきものが無いし、特に言い残したいこともないから遺言状なんか書かないからな。」と宣言した。おまけに、墓については田舎に両親や兄弟が眠る墓があり、そこに入れてもらうことはずっと前から決まっている。最近は納骨する時に骨壺のまま納める家も増えているようだが、我が家は骨をむき出しで土中に埋めるので、墓が満杯になる心配もない。むしろ墓守りが居なくなることの方を心配すべきかもしれぬ。問題は葬式だろうが、これとて残ったものが考えれば済むことで、あの世に旅立つ人間が指示することでもあるまい。遺言状とは少し違うだろうが友人の中には、いまわの際について「俺が倒れた時には救急車を呼ぶな」とか「救命措置はするな」と家族に言い置いている人もいる。要するにあっさり行きたいとの意思表示だで、それも一つの見識には違いない。しかし考えてみると、仮に家で意識不明になった場合に救急車を呼ぶなは、家族に酷なような気もする。この話を聞いた翌日にも婆さんと話をした。「これから先、いつどこで倒れて意識不明になるか分かったものじゃない。そこからはこちらとしては何もできぬので面倒を掛けるが好きにやってもらうしかないな。」婆さんは「私が先に逝くから心配しないで。」とか何とか言っていたが、互いに以前から入る墓だけは意見の一致を見ている。婆さんはへそくりがありそうだから遺言状を書いてもらった方がいいかもしれぬが、こちらにはその必要が無い。とすれば、先日の友人が言うには「君が死んだ時には俺に一報くれるよう、奥さんによく言っといておくれ。」があったので、友人知人への案内の出し方を話しておくことが必要だと今気が付いた。

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